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こころ 著者:夏目漱石
新潮文庫 あらすじ: 書生(今で言う東大の学生)である「私」が夏期休暇に鎌倉で「先生」に出会う。この物語はそこから始まる。「私」が先生を知っていこうとする過程で、「先生」と言う人物はどうしてもつかみ所のなく、どこか陰鬱であった。「私」と「先生」との微妙な関係から信頼しあい、そして、先生の過去の告白。それらを通して織りなす人間模様と複雑な人間の情動を描いている。 「先生と私」(第一部) 先生と私が出会い、私は先生を知ろうと必至になるが、決して先生は全てをさらけ出してくれるわけではない。人間不信であるといっていい先生が私に自分の過去を語っても良い、と約束する、彼を信用しようと思うことができたのは、ひとえに私という人物が真面目で、真剣であったからだ。 「両親と私」(第二部) 大学を卒業して、田舎へ戻った私は両親とともに暮らす。父親は腎臓を患っていて私の卒業が生前であったのを喜んでいた。そして、就職についていろいろ言われ、そろそろ東京に戻り、就職口を探そうとした矢先に父親は倒れた。父の看病を見つつ、兄や妹に連絡をとり、駆けつけた皆の前で、父は臨終の時を迎えようとしていた。先生のとんでもなく長い手紙が届いたのは、ちょうどその最中であった。 わたしがその手紙を覗いた時、目にとまったのは「私はこの世にはいないでしょう」という一文だった。先生の死と親の死。私は汽車に飛び乗り、東京へと向かった。 「先生と遺書」(第三部) 私に宛てられた分厚い手紙=遺書についてである。先生の過去に何があったか。親の財産を叔父にとられた話や妻となるお嬢さんとの恋愛の話。そういった内容であった。お嬢さんが欲しいが為に犯してしまった罪。その暗い過去を語る。親友のkを裏切ることになってしまったその過ちを妻以外に信じる気になった私への告白の情動の告白書でピリオドとなる。 主要登場人物:
コメント: なぜこの本を持っているのかすら、思い出せずにそれが故に読んでみることにした。すると、読んでみるとこれが面白い。そして、案外にすらすらと読める。どうも太宰治や芥川龍之介、宮沢賢治と文章が古すぎて読む気がどんどん削がれる(特に太宰……、芥川……。だんだん意味が分からなくなるのが宮沢……)なので、ちょっと夏目漱石も偏見をもっていた。しかし、読んでみると結構、ふりがな以外は現代チックだ。というか、この本は内容自体が現代にも通じる面が多いからかもしれない。遺産相続や恋愛に関しては今も昔もそれほど変わらないようだ。そういった人間の内面を掘り進んだのがこの小説である。 夏目漱石に脱帽であるというのが、これを読んでの感想だった。人物の感情の流れがスムーズであり、どの人物でも感情移入がしやすい、そして、特に「先生」は謎多い人物のように描かれていたが、最後の種明かしの第三部では、誰でもがその感情に共感し、多かれ少なかれ味わったことのある人間性を示していた。 純文学だからと言って回避しようなんて思うのはお門違いだと改めて思った。今度、夏目漱石の違う作品を読んでみよう。 当時のあれこれ: さて、この本を読むきっかけとなったのはこの本を何故所有しているか自体が全く記憶にないからである。なぜにない? と聞かれても本当に記憶がない。発行年月日は平成?年5月25日。……。当時、高校生? 過去に想いを馳せても思い出せない。だから、読んでみることにした。 読んでみれば、そう、なんとなく思い出してきた。いや、一度は読んだことがある気がしてきた。次にやってくる場面が思い出される。ほほーう、そういえば、読んだことあるぞ。そして、なんとなくだが、当時は面白くないと思っていたことまで思い出されてくる。きっと当時の私には遺産相続や恋愛などドロドロっとしてしまうことには、本当に興味というか内面の成長が追いついていなかったと思われる。だから、当時はつまらないし、記憶に残ることもなかったんだと思う。 当時、この本は学校の授業で使われた本であった。「授業」に寝ることはほとんどなかった私だが、記憶の彼方もう少しで西方浄土まで辿り着きそうになっていた記憶は、どうやらそれほどまでにどうでも良かったみたいだ。なにせ当時は読書感想文提出二時間前の掃除の時間に友達に内容を聞いて三枚程度の感想文を書くという強者を繰り返していた(汗)私である。そりゃ、覚えていないのも当たり前かもしれない……。 データー:
2003/11/15
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