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-- Are you happy? --


 俺は探そうともしなかった。
 探すだけ虚しさを覚えると弱い俺の本能は麻痺して訴えてさえもこなかった。
 五人が五人、各々の人生を歩んで――残っているのはあのバカと俺だけだと決めつけていた。
 今更、捜そうなんて微塵も考えてなかったのはこの世に残っていることほど哀れなことはないからで、あの人がこの世に残る理由もないと思ってたからだ。
 きっと天に還ったのだと決めつけて、気の向くままに相変わらず俺はこの世に残っている。
 本当に今更、何を未練がましくこの世にすがりついているか、など考えるだけ無駄だ。
 けれど、一つだけはっきりしてることがある。

 俺はまだ――

 ――……満足しちゃいねえ。

 きっとそれが俺のこの世に残る理由だ。




 何気無く入った店はどことなくレトロな雰囲気を醸しだしていた。
 入ってすぐに視界に入ったのはカウンターとその背後にある種々の酒瓶とグラス。それから店内の奥へ視線をやると丁度良い具合いの人の込み合いに俺は携帯を取り出した。
「お、鳥越」
 思わず俺の口許は綻んだに違いない。
 なにせ相手は想像通りパニックを起こしている。
「――奢ってやっから来な」
 場所も店名も伝えずに切るのは毎度のこと。
「お客様――」
 通話が終わるのを見計らってウェイターが伺ってくる。その姿勢だけで店の良し悪しが見えるというものだ。
「カウンターでいい?」
 てっきり机に向かうのかと思っていたらしい店員は少し驚いた顏をしたが、すぐさま踵を返して席へ案内する。店員はきびきびした所作ながらも穏やかな笑顏を絶やさない。さながら店の雰囲気そのもののようでこの店の質の高さが伺えた。
 俺はエスコートされるがままにコートを脱ぎ、高めの椅子に腰掛ける。
「いかが致しましょうか」
 そうだな、と思案するふりを軽くして、けれど、もう自分の中で注文は決まっていた。
「スコッチを――」
 今の今まで三本の電波マークだった携帯のディスプレイが机に置くと同時に圏外へと表示を代えた。

 気持が和らぐ。

 そんな心地になったのは何時以来だろうか。いつもならけたたましく、そうでなければ取れと言わんばかりに踊り出す携帯は静かだ。電話に出れば、第一声は「どこにいるんですか!?」の大音声。
 それが今日はない。が、それはここが圏外だからであって今頃は繋がらないと血相を変えてアイツは俺を捜しているだろう。
 勿論、アイツとは、鳥越隆也のことだ。闇戦国終了後、どういう訳かそれなりにツルむようになった。旧知の仲ほどでもないが、打てば響く感があって遊ぶのに事欠かないのがいい。

「――……」

 けれど――、
 実はそれほど心安い人物ではないのかもしれない。
 今は、――いい。こうしていられる今は。
 けれど何十年か先には相手は「死ぬ」のだ。
 俺達の実情を骨身に染みているアイツが……死んでまで生きたいなどと考えるはずはない。無論、俺だって望まない。

 ――マタ取リ残サレル。

 その疎外感と虚無はやはり拭いきれない。

 いつまで――、
「……――生きるんだろうな……」
 生きるのに疲れたとは言わない。
 だけど、生きている理由が分からない。
 根無し草な自分に嫌気が差した、とでも言えば言葉は正確に想いを代弁するだろうか……。
 それでも俺はまだ換生し続けるに違いない。神様の紛争事後処理とカコつけて。
 本当は――、
「もうあの世に逝ってもいいのにな」
 自分はアイツらを見届けた。やるこたあやった。未練を残すような生き方なんてしてねえ。
 アイツにだって付き合ってやるのはとりあえずこの宿体までだと宣言している。
 その後は自由だ。いや、今だって自由なのだ。
 いきなりヤメたと消えても誰も咎める奴はいない。それでも俺は今もこうして現世に居残って、これからも換生する道を選ぶだろう。
「……」
 淡い店内。全てが幻のように煌めいて。
 俺は瞳を閉じた。
 柔らかな空気。
 バカ主従が互いに気にしながらも目を合わさず――いや、もうあの頃アイツの視線は――……言うまでもねえな。
 で、晴家がやっかんで、俺は我関せず酒を飲んでいた。暴れ絡む晴家から酒を死守するのが案外大変で――遠慮なんてしてられねえ。本気になることもしばしばだった。んで、取っ組み合いを止めに入るのは我等が大将。けど俺たちゃ示し合わせたようにいかにも後ろで控えてます、なヤツの過言だけは絶ッ対ーぇ聞く耳もたなかった。つーか寧ろ、それを逆手にとってヤツに矛先を向けて総攻撃だ。最後にゃ四人まとめて大喧嘩。
 それを止めに入るのがあの人――で。
 俺は大人げないと怒られたものだ。
 思えば、あの人が俺以上の貧乏くじを引いたのだろう。
「……」
 俺は閉じた瞼を持ち上げた。
 からりと崩れる氷。
 俺は改めて店内を見渡した。
 「……」
 別に何かがある訳でもない。あるのは客達の話し声と密かに流るるピアノの旋律。
 誰もが美味い料理と酒を肴に話に興じている。皆穏やかな良い顔をしていて、
 ――ここには俺達を包んでいたアノ空気が、ある。
 あの懐かしい空気。
 殺伐とした現実の中でここだけが居場所だ、と思えたアノ――安らぐ空間。
えてして、いつの間にか誰ともなく集って酒を酌み交わすようになった。静かに始められたそれは五人の安堵が重なって密やかに甘く――しんみりと――、
 ――……は、いかねえなあ。
 けど、それでも寄り処となったあの宴で笑い合った。痩せ我慢だったかもしんねえけど、それでも――笑いあったんだ。俺達は。
 桜の下、紅葉の下、雪の上、浜の上。――誰ともなく集まって。今も鮮明に思い出せる記憶の潮流。
「……」
 俺は軽くグラスに口付けた。
「――……」
 ここはあの記憶と重なる。全てを呑み込んで赦されて存在るが応なあの場所に、
「――お客様?」
「!?」
 はたと俺は顔あげた。
 目の前――カウンター越しにバーテンダーが何故かいる。
 踊った俺の目線は暫く泳ぎ続けたが、最後は行き場を失って……バーテンの元へと戻った。
 気まずい空気を破るのは、さすが客商売。
 大丈夫ですか?という言葉とともに差し出されるのは――、
「……」
 思わず苦笑いを漏らした。
 相手は芯の通った隙のない笑み。
 誰かさんを彷彿とさせられての苦笑だった。こんなもんだされたら――、
(――追加できねーじゃん)
 俺はカウンター越しの笑みとともに届けられたお冷やを摘まみ持ち上げた。
「ありがとさん」
 一気に飲み干した水は火照った身体の中を勢い良く流れ落ちていった。その冷たさが俺を現実に引き戻す。
「チェック頼むわ」
「かしこまりました」
 ふわりと地面に着地して自然に出た成り行きの言葉は俄に店内の空気を揺らす。
 やはり店は店にすぎない。別れ際、誰もが時間(とき)を止められないのを知っていて、それでも惜別に言葉を失って。
 引き留められる何かがここにはない。
 ここはアノ場所ではない。
「……」
「二千と二百三十円になります」
 アノ――場所は……もう記憶の中にしかないのだ。
 それでも――、
 足跡を残したいと想うのは、女々しいのだろうか。
 数枚の紙幣をキャッシャーに差し出しつつ俺の視線はさ迷って。
「ここキープできんの?」
 バーテンの背後に並ぶ種々のボトルを捉えた。それぞれの似通った瓶に札が掛けられている。
「ええ、はい」
 俺の視線を追ってキャッシャーの店員も振り仰ぐ。
「できますよ」
 ――しますか?
「ああ、何がある?」
 種類は少ないですが、と差し出して見せてきたメニュー表はそれでも他の店に比べれば格が違う。こんな店は滅多にお目にかかれるものではない。
「あと、これに名前お願いしますね」
 さりげなく俺の視線を誘導した先にあったのは皮で出来た小さめな札。ここに名前を書くのだ。
(ここ、に――名前……か)
 今更ながらであるが、感慨深いものだ。
 ここに自分の名前を書く。それだけのことなのだが――、
「お客様?」
「……悪ィ、もう一つこれくれねえ?」
 明らかに不信の表情を店員はしたが、一向に構うことなくマーカーの蓋を取って名前を書き込む。そして、もう一枚にも――。
「これで良し!」
 二つの札が掛けられたボトル。改めて見ても笑みが雫れずにはいられない。
 ちょっとしたお遊びにしかすぎないが――、
 俺のちょっとした、本当に些細な想いにしか過ぎないが――真心込めた二枚の札。
「また来るよ」
「お待ちしております」
 深々と頭を下げる店員達に背を向けて、カラリと扉を押し開く。
「……」
 吸い込んだ外気には冷たさはない。
 春の訪れを予感させる。
「――いや、もう春か」
 店を出て階段を上りきるとそこは繁華街。行き交う人々。その中に俺も紛れる。
 ウタカタの時間は終わった。それはごく有りふれた日常にすぎなくて。俺は天を仰いで目を閉じる。
 季節は巡る。
 ――舞う花びらとあの人の微笑。
 アノ季節がまたやってくる。
 あの人が醸す雰囲気には独特な優しさがあった。
 傍らにあった決して自分じゃ真似できない笑み。あの見守ることと責務を常とした人の面立ちを俺はきっと忘れないだろう。いや、この俺様が忘れる訳がない。
 あの人がいなければ、きっと今の俺はないから。生前とは全く異なる笑みを浮かべて隣にある存在に初めは驚かされもしたが嫌いじゃなかった。あの微笑みは――寧ろ、
「――……」
 至極、当然に口端は持ち上がる。
(――あんた、がいたから――)
 アイツらとなんとかやってこれたんだぜ、とっつぁん。

 あんたは俺にとって――、

「千秋さんッ」
「!?」
 思わず俺はその声にびくりと背を揺らした。
「……――鳥越……」
 奴の瞳は口が言うよりモノを言っていて……。
 大股に近付いてくる相手は誰かさんを想像(おも)わせる。その眼差しは真っ直ぐに俺を捉えていて。
「……」
「……」
「……何?」
 目に見えて、奴の片頬はピクリと痙き攣れた。
「『何?』じゃないでしょぉぉお!?」
 自分が呼び出しておいてッ!
「……」
「あ、……今わざと目線反らしましたね。業と!」
「……そらしてねえよ」
「ア!もしかして千秋さん呼び出したこと自体――」
 ……忘れて――、
「――ねえよ」
「嘘だ!ほらまた視線そらした!」
「なッ 目線反らしたぐらいで――」
「分かりますよ!何年付き合ってっと思ってんすか!」
 思わず閉口して俺は目を瞬たいた。
 まさか目の前の野郎からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。そんなにも時間は流れて……。
「携帯繋がんないし、今日が今日だけに、まさかと思って直江さんに電話してみれば、ホントに東京戻ってるって言うし……」
 相手は怒っているようであれ、情けないようであれ――、
「戻るなら戻るって本ッ当先言ってくださいよ……」
 なんも用意出来ないじゃないですか、と言って――、
 ずいっと眼前に差し出してきたのは、重たそうなコンビニ袋。
「……――なにこれ……」
「まんまっすよ。決まってんでしょ?」
 酒です。
 て、なんでそれを俺が受け取らにゃならないだ!?……いや――なんか目茶苦茶態度が受け取れって言ってっから思わず受けとっちまったが……。
 受け取る必要ないだろ?
「?」
 眉を潜める俺と豪岸不遜に睨みあげてくる仁王立ちの相手方。
 けど、妙な沈黙が次元を歪め始めて、
「――て、今日……千秋さんの誕生日でしょ?」
「……」

え?

 ――俺達は会話の成り立つ領域に対峙した。

「……」
 ――誕、生日?……たんじょうび??
「……まさか――」
「……――あ」
 キーワードは連想ゲームのそれのように矢印で繋がれて、一つの言葉にたどりつかせていく。
 繋がりゃなんてことはない。腑に落ちるってもんだ。

 そういえば、今日は――、

 確かにコイツの言うとおり今の今まで忘れていた。

「――……」

 今日は――、

 ――『千秋修平』が産まれた日。

 ――だ。
 

continue→2


   

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