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仰木家シリーズ7 著・なぎ様(蜃気楼の館)
STEP!
「けいすけちゃんっ!!」
アパートの駐車場に愛車を停め、今日終わったばかりのテストの答案用紙を抱えて車から降りた奥村は、突然背後からかけられた少女の声に耳を疑った。
時刻はすでに午後八時近い。
奥村の勤める中学校から車で約二十分ほどのこのアパートは古い木造二階建て。
おまけに大通りから狭い横道を通ってこなければならないという立地条件の悪さから家賃は台所バストイレ付きの六畳二間で破格の値段なのである。
自宅から通えない距離ではないのだが、大学卒業後一度は一人暮らしもいいだろうとこのアパートを探し出した。
隣に停車してあるパジェロの陰からひょっこりと姿を現したのは奥村が担任をしているクラスの女生徒。
付け加えて言うならば高校時代からの友人である橘義明の姪っ子。
紺のダッフルコートに身を包んだあきらは跳ねるような足取りで奥村に近づいてきた。
「遅かったね。忙しかったの??」
「ちょっとな。つーか、おまえ、こんなところで何やってんだよ」
「けーすけちゃん、待ってたんだよ。はい、これ」
あきらがオレンジを基調にしたファンシーな包装紙でラッピングされた四角い包みを奥村の目の前に突きつけた。
差し出されたそれを条件反射で受け取った奥村にあきらはにっこりと笑う。
「ハッピーバレンタインだよ〜。もちろん、義理だけどね」
「ああ、サンキュー。って、おまえ。これ渡すためだけにここまで来たのか?何時間待ってたんだよ!」
「近くのコンビニに居たから平気。一時間くらいかなぁ」
「バカか、おまえは。受験控えたヤツが何やってんだよ。風邪ひいたらどーすんだ」
「大丈夫、大丈夫。バカは風邪引かないって昔から言うじゃん」
「屁理屈こねてんじゃねぇぞ」
昔、あきらがまだ幼い頃よくしたように奥村は頬に手を伸ばした。
「あーあ、こんなに冷たくなっちまって。ご両親が心配してんぞ。ちょっと待ってろ、送っていってやるから」
アパートに入るように促す。
男一人暮らしの殺風景な部屋。
よくよく考えてみれば、奥村のアパートの場所は知っていても個人的に訪ねるようなことはなかった。
もっと散らかっていると思っていた部屋の中は意外と綺麗に片付けられている。
手にしていた荷物をこたつの上に放り出してストーブのスイッチを入れ、それから台所に行き鍋に水を入れてガスコンロを点火した。
「意外と綺麗好きなんだね、けーすけちゃん。もっと汚い部屋に住んでるのかと思ってた」
「あたりまえだろ。俺様は綺麗好きなんだよ・・・ってこの間、清香が来て片付けてくれたんだけどな」
「清香ちゃんと会ってるんだ」
「あいつも最近忙しいみてーだから、会ったのは久しぶりだったけど」
「ふうん」
台所を覗くと奥村がインスタントラーメンの袋を棚から取り出しているところだった。
「そんなんばっか食べてると栄養偏るよ?」
「わかっちゃいるけどやめられない」
節をつけてそう言う奥村の手からインスタントラーメンの袋を取り上げる。
それを流し台の上に置くとあきらは冷蔵庫の中を物色し始めた。
「なーんにも入ってないよ、冷蔵庫」
「ここんとこ買い物に行く暇がなかったんでね」
「一人暮らしの男の人って侘しいよねぇ」
残ったハムやら野菜やらを取り出して腕まくりをし、ほとんど使っていないだろう食器乾燥機に入っていた包丁とまな板を流し台の上に置いた。
「ご飯は炊いてあるんだね。よし、あたしが作ってあげるから、けーすけちゃんは座ってなよ」
「食えるもん、作れるのか?」
「失礼ね〜。調理実習で作ったの、食べたことあるでしょ!」
「そんなこともあったっけな」
からかうように笑う奥村の背中を部屋の中に押しやる。
内心「見てなさいよ」と思いながらあきらは野菜を刻んだ。
「美味いっ」
冷蔵庫にあった野菜くずやハムで作った炒飯をほおばった奥村の第一声。
清香が買い置きしておいたのだろう、乾燥わかめで作ったお味噌汁付き。
小さなコタツに向かい合って座り、あきらは得意満面の笑みを浮かべた。
「そーでしょ、そーでしょ」
「意外と料理上手なんだな」
「意外は余計だってば」
「マジで美味いよ。寒い中待たせて、メシまで作ってもらってほんと悪いなぁ」
「気にしない、気にしない。あたしとけーすけちゃんの仲じゃん」
頬杖をついておおよそ二人前はあろうかと思われる炒飯を平らげる奥村を見つめる。
気持ちいいほどの食べっぷりに作り甲斐があるなぁと思った。
やっぱり自分の作った料理を「美味い」とたくさん食べてくれる男の人はいい。
「教え子部屋に連れ込んでメシ作らせてる〜なんて噂がたったらptaが煩いだろうな」
「あはは。そーかもね。教師と教え子の禁断の愛とか?」
「心配すんな。オムツしてた頃から知ってるお子様相手に欲情するわけねーべ」
「きゃ〜!そんな大昔の話、持ち出さないでよ」
小さな頃からの付き合いだと、恥ずかしい話まで知られているのが辛い。
そんなあきらを見て笑い、炒飯の最後のひとすくいを平らげて、奥村は味噌汁を一気に飲み干した。
「ごちそーさんでした」
「お粗末さまでした」
すぐに食器を片付けようと手を伸ばす。
「いいぞ。帰ってきてから洗うから」
「お皿の二枚や三枚、そんなに時間かからないよ。割ったりしないから安心しなさいって」
食器とフライパンを洗う。
なんだか通い妻みたいだよね〜と考えたら笑ってしまった。
身内以外の男の人に食事を作ってあげるなんて初めての経験。
その初めての男が小さい頃から大好きな奥村であったことが嬉しい。
「ねーねー、けーすけちゃん。こーやってると、夫婦みたいじゃない?」
ハンカチで手を拭きながら部屋に入る。
はぁ?とあきらを仰ぎ見た奥村はその後、景気よく吹き出した。
あきらはムッと唇を尖らせ奥村を睨むマネをした。
「そんな笑うことないでしょ」
「笑うに決まってんだろ。考えることがまだまだお子様だよなぁ」
「悪かったね、お子様でっ!!」
「俺も教え子に手ぇ出すほど女には不自由してませんってことでオチをつけるか」
「不自由もなにも、けーすけちゃんが今までに付き合った女の人って清香ちゃんだけじゃん」
「ははは、バレたか」
よっこいしょっと年寄りみたいに掛け声をかけて立ち上がる。
「さてと、行くぞ」
「ドコへ?」
「何をとぼけたことを言う。おまえさんの家に決まってんだろうが」
「そーでした。あ、でも今日は義明兄ちゃん留守だよ」
「仕事か?」
奥村の問いにチッチッと人差し指を横に振る。
「愚問だなぁ。今日はバレンタインだよ。恋人のところへ行ったに決まってんじゃない」
「そら幸せなこった」
「けーすけちゃんくらいじゃない?彼女いるのに寂しいバレンタイン過ごしてるのって」
「あのなあ・・・」
「だけど得したでしょ?こーんな可愛い女の子とドライブできるんだから」
「可愛いって誰が?」
「うーわ、腹立つ〜」
などと他愛もない会話をしながら車に乗り込む。
奥村のアパートから車で十分ほどで光厳寺に到着した。
「ありがとね、けーすけちゃん」
「礼を言うのは俺もだな。ありがとな、飯とチョコ」
「いつでも作ってあげるよ」
おやすみ、と手を振って車から降りる。
「あきら」
奥村の声に振り返る。
学校では「橘」。
もしくは「おまえ」。
奥村に名前を呼ばれるのは本当に久しぶりだった。
「俺、結婚する」
「嘘っ」
「こんなことで嘘ついてどーするよ。あ、言っとくけどな、おまえに言われたからじゃねーぞ」
「・・・」
「学校のヤツら、まだ誰も知らないんだからな。ぺろっと喋るなよ?」
「・・・」
「おい、聞いてるのか、あきら?」
怪訝そうな奥村の声にはっと我に返る。
「あ、うん、聞いてる聞いてる。いつ結婚式するの?」
「五月五日」
「そっか、けーすけちゃん、結婚しちゃうんだ」
声が沈む。
「おめでとう」という言葉がどうしても喉の奥に引っかかって出てこない。
「送ってくれてありがと。おやすみ」
そう言ってあきらは踵を返して走り出す。
奥村の声が聞こえたが敢えて無視した。
ただいまもそこそこに、あきらは家に入ると階段をかけあがって自分の部屋に飛び込んだ。
奥村が結婚する。
冗談っぽく「結婚しないの?」とからかっていたのはあきらだ。
清香という彼女がいることも知っていたし、いずれは結婚するだろうとも思っていた。
だけど、何がこんなにショックなのだろう。
改めて「結婚」という言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。
ぽろり。
無意識に涙が零れ落ちる。
一度流れてしまった涙は止められない。
ぼろぼろと流れてくる涙に、一番驚いていたのはあきら自身だった。
「ごちそうさま」
ほとんどオカズに手をつけないまま、あきらは箸を置いた。
出されたものは残さずに食べる。
そう小さい頃から躾けられてきたあきらが食事を残すなんて滅多にないことである。
勉強してくる、と言ってあきらは部屋を出た。
「どうかしたんですか、兄さん?」
バレンタインディから三日が過ぎようとしている月曜日。
昨日の夜遅く帰宅した義明こと直江信綱は、いつも元気な姪っ子のあきらの異変に初めて気付いた。
あきらの様子がおかしくなったのは金曜日の夜からだという。
夕食の後に出かけて行き、帰宅したときにはすでに様子が変だったと義姉。
理由を聞いても答えようとせず、自分の部屋に閉じこもってばかりだったのだ。
「あきらも年頃の娘だしな。あまり煩いことを言うのもなんだからね」
本当は心配で堪らないであろう長兄・照弘の言葉に直江は頷いた。
中学三年生。
高校受験を控えた微妙な時期に加え、思春期の女の子だ。
誰にも言えない悩み事だってあるだろう。
「わかってはいるんですけどねぇ。受験前の大切な時期に身体を壊したら大変だわ」
あきらの母親は「はぁ」とため息をついた。
ケンカばかりしている弟の伸介も、やはりいつも元気な姉がしょげている姿を見るのは辛いらしい。
無関心を装っていても時折視線があきらの消えた廊下へと動く。
「そこで、だ」
何が「そこで」なのだろう。
嫌な予感に直江の表情が引きつった。
食卓の隣に座っていた照弘が直江の肩をポンと叩く。
「あきらの担任の奥村くん、おまえの親友だろ?学校で何かあったかもしれん。それとなく聞き出してみてくれんか?」
「無茶言わないでくださいよ、兄さん。いくら奥村がわたしの友人だからって、そんなこと訊ねられても困るじゃありませんか」
「煩い。おまえは可愛い姪が心配じゃないのか!?そんな薄情な男に育てた覚えはないぞ、俺は」
「当たり前じゃないですか。兄さんに育てられた覚えなんてこれっぽっちもありませんっ!」
親指と人差し指でアルファベットの「c」の形を作る。
だが、その指の隙間はほとんど開いていない。
「まったく可愛げのない。最近、生意気だぞ、義明」
「兄さんに可愛く思われなくても結構です。だいたい、この年で男が可愛いと思われても嬉しいわけがないでしょう」
「いつになく強気だな。高耶くんに会ってエネルギー充電してきたってわけか。おまえは自分さえ幸せなら、俺の可愛い娘がどうなろうと知ったことじゃないというんだな。そうか、そうか。おまえの人間性ってものがよっくわかったよ。その外面のよさで高耶くんを騙しているんだろう。可哀相に。そんなこととは露知らず、いたいけな高耶くんがおまえの玩具に・・・」
「人聞きの悪いこと言わないでください!誰が騙してるんですか、誰がっ!しかも、玩具とはなんですか、玩具とは。ひとを極悪非道の限りをつくしているような言い方をして。だいたい、高耶さんに対するわたしの思いはいつだって真剣で・・・」
徐々に論点のずれていく照弘と義明の会話を父親の咳払いが遮る。
大人気ない会話を繰り返す長兄と三男に、母親の春枝も呆れ返っていた。
「とにかく、あきらに黙ってあれこれ聞き出すようなマネはできません。それこそ、あきらに失礼でしょう」
「・・・来月の給料、十パーセントカットしてやるからな」
「あーもう!それが公私混同だと何度言わせるんですか」
「春からおまえが高耶くんとラブラブ同棲生活するつもりのマンションだって提供してやらんからな。オートロックのナンバー、おまえに内緒で書き換えてやる」
「・・・ほんっとにいい根性してますよね、兄さんは。それが四十を過ぎた男の言うことですか」
「子を思う親の気持ちに年齢は関係な〜いっ」
食卓をひっくり返す勢いで照弘が豪語する。
タイミングが良いのか悪いのか、直江の携帯電話が鳴り響いた。
「もしもし?ああ、久しぶりだな、奥村。どうした?」
廊下に出て話を続けようとした直江の電話の相手が奥村だと知った照弘は、直江の手からその携帯電話を奪い取る。
「返してください、兄さんっ!何するんですか!!」
「もしもし。いつも娘が世話になっております。あきらの父ですが、娘の様子がおかしいんですが、もしや学校で何かあったんでしょうか??」
「いい加減にしてください、兄さんっ!!!」
光厳寺の敷地内。
直江と両親が暮らす庫裏とは別棟の照弘の自宅。
照弘の妻であきらの母。
直江にとっては義姉にあたる加代子に断ってから二階への階段を登っていく。
必死の思いで照弘から携帯を取り戻し、速攻で自室へと飛び込んで改めて電話をかけ直した。
あきらが元気のない理由。
奥村から話を聞いて、直江には「やっぱりな」と納得ができた。
ドアの前で一度立ち止まり、深呼吸をすること数回。
軽くドアをノックする。
「あきら?入るぞ?」
「今、勉強してるからダメ」
「お祖母ちゃんがお茶と和菓子を差し入れしてくれたんだぞ」
「お腹一杯だから入らない。義明兄ちゃん、食べてもいいよ」
「嘘つきなさい。あれっぽっちしか食べてないのに、お腹が一杯のわけがないだろう?」
「ダイエットしてるからいいの。勉強の邪魔になるから、あっち行ってよ」
暖簾に腕押し、ぬかに釘。
何を言っても絶対にドアを開けようとしない。
直江はドアに背中を凭れかけるようにして廊下に座り込んだ。
「奥村から電話があったぞ。あきらに元気がないって心配してた」
「生理痛がひどかっただけだから、心配しないでって言っといて」
「後で伝えとくよ。奥村、結婚するんだってな。今日、初めて聞いた」
「知ってる。金曜日の夜に聞いた。それがどうかした?おめでたい話じゃん」
部屋の中から努めて平静を装っているあきらの声。
直江は一度大きく息を吐いてから問いかけた。
「・・・ショックだったか?」
「!?」
ドア越しにあきらが息を飲むのがわかった。
しばらくの沈黙。
キィという小さな音と一緒に、あきらの部屋のドアが開かれた。
振り仰ぐ直江の視界に、泣き出しそうなあきらの顔。
「奥村も元気なかったぞ。あきらに一番に話したのは、誰よりも喜んでくれるだろうって思ったからなんだと。それが急に元気なくなる。学校で話しかけても逃げる」
「だって・・・」
金曜日の夜、あんな別れ方をしたせいか、奥村は今日一日必要以上にあきらを気にかけていた。
それに気付いていたあきらだったが、奥村と面と向かって話をすれば必ず泣いてしまうだろう。
泣き顔なんて絶対に見せたくない。
だから逃げ回っていた。
「あたしだって、知らなかったんだもん。気がつかなかったんだもん」
大好きだった、叔父の親友。
それは年の離れた兄への思慕と同じものだと感じていた。
だがそれは自分でも気付かない、それとは違う「好き」という気持ちだった。
奥村の口から改めて「結婚」という言葉を聞くまで実感しなかった、あきらの本当の気持ち。
恋愛感情と呼ぶにはまだ幼い。
だけどあきらにとっては紛れもない「恋愛感情」として奥村が好きだったのだ。
「おめでとう、って言おうと思ったけど言えなかった。どーしても言えなかった」
とうとう我慢することが出来ず、あきらが泣き出した。
わんわんと小さな子供のように泣きじゃくるあきらを優しく抱き寄せて、直江は気が済むまで泣かせてやる。
頭がからっぽになるまで。
切ない初恋の痛みが昇華されるまで。
「義明兄ちゃん、ずっと知ってたの?」
あきら本人ですら気付かなかった奥村への思いを、一体いつから知っていたのだろう。
気の済むまで泣いたあきらは真っ赤になった目で直江を見上げた。
曖昧に微笑んで答えようとしない叔父。
まあ、いいか、とあきらも笑った。
たったひとりで泣いていたときには胸にもやもやとした苦しさが募るばかりだったが、今日は直江がいてくれたせいだろうか。
泣くだけ泣いたら気分がすっきりしてきた。
まだ本調子とまでは言えないが、少なくとも自然に笑えるくらいには回復している。
「あきらはいい子だ。奥村も言ってたよ。あきらはいい子だって。世界中で一番身近な、とても大切な女の子だって」
「一番好きなのは清香ちゃんのクセにね」
「それでもだよ。だいたい、親友の俺よりも先におまえに結婚の報告をしたんだぞ、奥村のヤツは。それだけおまえが特別ってことだろう?」
「義明兄ちゃん、ヤキモチやいてんの?」
「大いにね。十年以上の付き合いだが、あいつの中の俺のランクはおまえよりも下らしい」
「そりゃ、でかくてごつい男の人より、小さくて可愛い女の子のがいいに決まってるじゃない」
子供のようにふて腐れる真似をした直江にあきらが小さく吹き出した。
そんな彼女の様子に直江も安心する。
「明日からはそうやって笑えるな?兄さんも、義姉さんも。伸介も、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもみんな心配してる。あきらはやっぱり元気なのが一番いい。俺も笑ってるあきらの方が好きだな」
「美弥ちゃんのお兄さんにも、そーやって歯の浮くようなセリフ言ってるの?」
「ひとがせっかく慰めてやってるのに、可愛くない言い方だな。やっぱりおまえは兄さんの娘だよ」
「しょうがないじゃん。遺伝子の半分はお父さんのなんだから」
顔を見合わせて笑う。
「明日、けーすけちゃんに謝る」
そして思い切り全開の笑顔で「おめでとう」って祝福をしてあげるのだ。
大好きな奥村が幸せになれるように。
あきらの言葉に直江は大きく頷いた。
よく晴れた青空。
無事、志望校に合格したあきらが高校生になって一月が過ぎた。
叔父の義明の誕生日の翌々日。
今日は奥村の結婚式だ。
宇都宮市内にある教会で、両家の身内とほんの少しの友人だけのささやかな結婚式。
いつもは快活に笑っている奥村の表情も緊張のためか少々固い。
水色のパーティードレスに身を包んだあきらは、そんな奥村を見て笑った。
隣にはぴしっと礼服を着こなした叔父の義明が立っている。
純白のウェディングドレスの清香とバージンロードを歩く奥村。
誓いの言葉。
指輪の交換。
そして、誓いのキス。
ひとつひとつの場面が、あきらの記憶に大切に片付けられていく。
淡い恋の切なさとともに。
教会の庭に出てきた新郎新婦を参列者全員が拍手で迎える。
式が終わってほっとしたのか、いつもの奥村に戻っていた。
着慣れないタキシードを後からからかってやるのだ。
清香が手にしていたブーケを青空に向かって放り投げる。
年頃の女性たちが次の幸せを手に入れようと宙に手を伸ばした。
(あたしには、まだ早いね)
青空によく映えるドレスと同じ白いブーケを眩しそうに見上げる。
綺麗な放物線を描いたブーケは、手を伸ばす女性を越えて、少女の手の中にすっぽりと納まった。
振り返る女性たち。
一番驚いたのは、偶然とはいえブーケを受け取った少女本人だ。
「兄さんが泣くなぁ」
「何年も先の話でしょ。相手もいないのに、結婚なんてできっこないじゃん」
悔しがる女の人たちに申し訳ないと思いながらも、あきらは手の中に飛び込んできたブーケに喜んだ。
「今日はありがとな、来てくれて」
ガーデンパーティが始まって数分後、奥村があきらの隣にやってきた。
清香は友人らしき女性に囲まれて写真を撮っている。
「カッコよかったよ、けーすけちゃん。男前三割り増し」
「たった三割しか増してないわけ?」
「三割でも増してるだけいいじゃん」
「高校どうだ?友達できたか?」
「うん、楽しいよ。友達もできた」
「俺らのいたころと、教師の顔ぶれも変わってんだろうな」
「片岡先生って覚えてる?」
「おー、覚えてる覚えてる。何、片岡ってまだあの学校にいるのかよ。もう化石に近いな」
「休み明けにそう言っとくね」
「冗談。片岡先生がどーしたって?」
「あたしの顔見るなりね『橘義明くんの親類か』って言われた。あたしと義明兄ちゃんってそんなに似てる?」
「それは難しい質問だな。でもおまえ、どっちかってーと親父さん似だろ?義明と照弘さん似たとこあるからな」
「あたしが男顔だって言いたいの?」
そんなこと、言ってねーだろ。
そう言って奥村は笑った。
あきらの持っているブーケに視線を移し、
「次の花嫁さんはおまえか、あきら。まだちーと早いな、嫁に行くには」
「へへ〜。わっかんないよ?誕生日がきたら、結婚できる年になるもんね」
「相手が見つかったら、俺にも報告に来いよ。おまえを任せられるかどうか、ちゃんと見極めてやっから」
「けーすけちゃんよりいい男見つけるもんね」
「はは。俺よりいい男なんて、簡単に見つかるもんか」
「見つけてやるもんね〜だ」
いーだ、と白い歯を見せてからあきらはくりっとした瞳で奥村を見つめた。
「あたしね、けーすけちゃんのこと好きだよ」
「それは光栄」
「『ライク』じゃなくて『ラブ』の方でね。あ、でも過去形だからね」
「どっちが?」
「う〜ん、『ラブ』の方。ライクは現在進行形」
きっといつまでも、奥村はあきらにとって大切な人でいる。
あきらが別の男の子と恋をしても、結婚しても。
年をとってからもずっと。
「将来、けーすけちゃんがびっくりするくらいいい女になって『もったいないことしたな』って後悔させてあげるんだから。こんないい女が身近にいたのに、気付かなかったのが一生の不覚だって言わせてあげるんだから」
「楽しみにしてるよ」
顔を見合わせて笑っていると、カメラのシャッターを切る音が聞こえた。
カメラを持って立っていたのは義明だ。
「新郎が新婦を放って別の女と笑ってていいのか?」
「うちの清香は心の広い女なんでね。そのっくらいでヤキモチやくような狭量な女じゃねーよ」
「それはご馳走様。おめでとう。幸せになれよ」
「ありがとな。おまえも、いい加減落ち着けよ」
「言われなくても、落ち着くさ。俺の大切な姪っ子を振ったんだ。幸せにならなきゃ承知しないぞ」
「ああ、幸せになる」
男同士の友情っていいなぁと思いながら、あきらはちょっとした悪戯心を覚えた。
ちょこちょこと奥村に近づく。
「けーすけちゃん、ちょっと」
手招きをするとあきらよりはるかに長身の奥村が膝をかがめた。
その襟元を捕まえてぐいと引っ張る。
頬に掠めるようなキス。
「結婚祝い。あきらのファーストキスだよ。ありがたく受け取ってね」
面食らう奥村。
姪っ子の悪戯に笑みを禁じえない直江。
(おめでとう、けーすけちゃん。ずっとずっと、お幸せに)
抜けるような青空の下。
幼かった少女は、大人への階段を登り始めたばかり。
=END= [クリスマス企画(幸せになろう)]へ続く