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セレナーデ


弦からこぼれる旋律
その音色は
天にも届きそうなくらいはるか遠くへ舞い上がる


―1―


「―綺麗な音色だね」
窓から聞こえてきた声に、腰まで伸びた黒髪の幼女―摩白(ましろ)は演奏の手を止めた。
外見十八歳前後の青年が、窓に身を乗り上げて顔を覗かせていた。
天然パーマのプラチナブロンドの髪に青の瞳。
その端整な顔立ちに人の良さそうな笑みを貼り付けて、こちらを見ている。
「・・・あの」
「ん?」
「・・・ここ三階なんだけど」
「そうだね」
全く驚かない様子で、青年はにこにこと笑っている。
「・・・人呼ぶわよ」
「それは困るなぁ」
と言いながら、その長身の体を翻して青年は部屋の中へと足を踏み入れた。
摩白は手に持っていたバイオリンを置き、青年と対峙する。
「・・・すごいね。まだ若いのに、そこまで弾けるなんて」
「子供だからってなめてるんでしょ」
「そんなことないよ」
青年は摩白を上から下まで観察するかのように眺める。
見かけ十歳位の女の子。グレーのネックの上にギャザーの入った深紅のワンピース。
スカートから覗く細い足はタイツで覆われ、黒い靴を履いている。
部屋の中でも靴が履けるという点、そして身なりから、それなりに裕福な家柄の少女であることが伺える。
代わって青年の方はというと、白のジャケットに赤のネクタイというシンプルな制服姿。
「・・・聖クラシアス学校の学生が、家宅侵入罪で捕まりに来たの?」
「ふふ、ばれちゃった?でも君も同じ小等部の子でしょう」
「・・・・・・」
「身元が分かってるなら問題ないじゃない」
頑として居座るようだ。摩白もそれに気づいたのか、それ以上言うことはなかった。
何か起きれば、すぐにでも逃げるなり人を呼べばいい。赤の他人の、しかも男が入ってきて、ぎゃーぎゃー騒ぐほど摩白は子供ではなかった。
いや、子供にしては落ち着きすぎている、といった方が正しいかもしれない。
「・・・どうやってここまで」
玄関にも門にもセキュリティがかかっていたはずだ。窓から入ってきたのだから、それすらも、ものともしなかったのだろうが。
「近くにちょうどいい木があったから、そこから上ってきちゃった。いやぁ、木登りって初めてだったんだけど、意外に楽しいもんだね」
「・・・・・・」
変な人だ。と摩白は思った。
黙っていれば綺麗な男の人なのに、どうやら中身は、普通の人とは変わっているらしい。
「・・・今、レッスンの時間じゃないの」
時計は二時を指している。学校に行っていれば、まだ授業中のはずだ。
「サボリに決まってるじゃない。君もそうでしょ?」
「―私は」
「小宮摩白(このみや ましろ)ちゃんだよね?君」
フルネームを口にされ、摩白は一瞬ピクッと反応する。
「天才的バイオリニスト小宮賢三の娘で、全国音楽コンクールで三年連続優勝。母親も同じくバイオリニストで今では天才小宮一家と言われているほど。一人娘の君は、将来の音楽界を背負って立つ人間として、マスコミからも注目を浴びている」
まるでどこかのアオリ文句をなぞったような口調。
得意気に笑みを浮かべたまま、彼は続けた。
「音楽学校では、五本の指に入ると言われる聖クラシアス学校小等部に通う五年生。現在は個人レッスンに集中したいという理由から休学中。・・・どこか間違いは?」
すべて把握済みのようだった。摩白は溜息をつき、彼の瞳を見据える。
「―ないわ。その通りよ」
「へぇ、意外にあっさりしてるね」
「・・・言われ慣れているもの。そんなことでいちいち動揺してたら、やってけないわ」
「なかなか肝の据わったお嬢さんだね。そういうの、嫌いじゃないよ」
くすり、と笑う。男にしては妖艶な笑い方。たいていの女性なら、この顔にやられてしまうのだろう。
しかし摩白は眉一つ動かさず、彼の顔をじっと見ていた。
「・・・貶しに来たの?」
「半分はね」
半分はそうなのか、と冷静に思う。
「けど君の曲聞いてたら、どうでもよくなっちゃった」
まいったね、と大袈裟に肩をすくめる青年。
「君の音色は本物だね。技術も完璧だ」
「・・・それはどうも」
「けど、心がない」
「――」
「正確だけど、楽譜通りに弾いている感じ。気持ちがないよね」
「・・・やっぱり貶しに来たんじゃない」
呆れ混じりに溜息を零す。
「違うよ。賞賛だって」
どこが!?
と突っ込みそうになる。
「技術レベルで言えば、僕と同じくらいの力を持っているから、文句なしだね」
うんうん、と青年は、一人納得して頷く。
「でも、僕の相手には不足不満不十分。ライバルにもなりゃしない」
「・・・何が言いたいの」
「つまりね」
ぐいっと腕を引き寄せ、顔を近づける。
青の嬉々とした瞳が彼女を射抜く。口元の笑みは変わらぬまま。
「僕のライバルになるくらい、成長してみせてよ」
それは挑発というより――彼女への挑戦。
「・・・そこまでいうなら、余程自分の腕に自信あるようね」
ここまで言い切ったのだ。彼もそれなりの素質の持ち主に違いない。
「もちろん」
青年は彼女のバイオリンを勝手に手に取る。顎に乗せ、一気に弾き始めた。
「――っ」
声を失う。部屋に響き渡る協奏曲。
正確で、なおかつ軽快に音を刻んでいて。単調だった空気がいっぺんに変わる。
音色が作り出す優しくて柔らかい雰囲気。雑音も何も聞こえない。その音色だけが五感全てをとらえる。
磁石のように強く音にひきつけられる。勢いのある演奏。全身が金縛りにあったみたいに動けなくなる。
摩白は、目の前で弾く彼の姿から目を離せずにいた。
最後の小節を弾き終えた後でも、しばらく摩白は言葉を発することが出来なかった。
「―これが僕の実力。分かってくれた?」
「・・・っ。貴方一体・・・」
「ミナト」
「は」
呆気に取られている摩白にバイオリンを握らせ、彼は言った。
「羽月(はづき)ミナト。覚えておいてね」
にこ、と笑って、彼は窓から飛び降りた。
一人残される摩白。窓辺のカーテンがはたはたと揺れる。
「・・・ムカツク」
それが彼の第一印象だった。

<続>

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