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   沈む夕陽

第一章 呼び出し


《――……長秀。来い……》
 
 安田長秀に思念波が届いたのは、五日前のことだった。丁度その頃、とある田舎もド田舎の村で油を打っている最中(――お楽しみもいいところで……)。迷惑千万、その思念波を無視しようと決めたが――結局、応じることにした。なにせ日に日に数を増すその思念波の呼び出しにとうとう長秀はその重い腰を上げざるを得なくなったのだ。
 
        ※   ※

「…………」
 
 鬱蒼と茂った木々。
 彼は切株に腰を下ろして、穏やかに童子達を見つめている。
 換生――人の身体を奪い生きて、百年が経とうとしていたか。彼が滅多に見せない穏やかな顏を惜しみ無く子供達に振り撒いている。
 こんな彼を見るのは何時ぶりか。
 上杉景虎が安田長秀を呼ぶ時は大抵、その武家の所作に則って、粛々と迎える。気持悪いぐらい落ち着いていて、最近では威厳すら感じられるようになっていた。
 安田長秀、悔しいが相模生まれの青二才――景虎の器を認めるに今時至ったのである。
 さすが上杉謙信と並ぶ関東の三雄と謳われた北条氏康の子といったところか。
 初換生の時は長秀自身、誰がこんな血統書付きの脳なしに従うかと勢い込んでいたものの今では、……――その彼に付き従っている。無論、何も言わず長秀も従っている訳ではない。長秀にだって自分の歴史と培った人格に誇りと意地がある。窮地に追いやられようと、たとえ死にかけようと、景虎に助けを呼ぶことは断じてしない。これからもする気は塵一つもない!
 しかし、何故か景虎はそういう長秀の万事休すの時に限って必ずやってくる。
 長秀に限っての事ではないのだろうが、何せ夜叉衆の中で景虎に連絡を寄越さないのは安田長秀一人なのである。景虎としてはいろいろと心配なのだろう。
 
 ――余計な世話だ。胸糞悪い。
 
 と反論すると、
 
 ――そんなに容易く死なれては困る。
 
 頑として意見を曲げず、信念を曲げない景虎。
 それももう百年を数える。もう、その根性ぐらい認めてやらねば、今度は長秀自身の誇りが逆に傷付くだろう。しかし、ああいう景虎だからこそ漢として武士として人間として負けたくない、と思えたのだ。だからこそ、心おきなく真っ向から対決する気になった。
 頭上高く、ざわつく木々の葉の音。
 長秀は微かに目を細め、遠くから彼を見つめた。
 
「――――……」
 
 この世に居残る理由もいつしか長秀にとって――景虎に変化していた。奴に勝たなければ、輪廻をねじ曲げてこの世に残った理由が見つからない、……そのような気さえする。百年の時間が長秀本人無意識の中に景虎という大きな未練を抱えさせた。
 だからこそ、面倒この上なくとも、結局――……景虎の呼び掛けに長秀は応えたのだ。
 一歩一歩、長秀は童子と戯れる景虎に近付く。
 
「おい」
 
 いつもならとっくに気が付くに距離にも気がつかず、手を伸ばせば触れられる程近くに立っても、気がつかない。長秀の掛け声は童の喜々とした声に掻き消されたのか。
 
「…………。おい景虎」
 
 景虎の左肩に手を置くと、案の定びくッと肩を震わせ振り返った。
 
「…………」
 
 数秒見つめ合ったか。久方ぶりの再会。以前あったのは何時のことか。
 
「…………。人を呼びつけてその態度はなんだぁ。景虎。俺が近くにいたから良かったものの……」
「――ああ。長秀か」
「『ああ。長秀か』じゃないだろう」
 
 まったくと言いたげに長秀は肩を落す。こういう無防備な景虎を見ていると、怨霊伏せの時に見せる冷徹無比の落差に悩ませられる……。
 そんな――、……今日この頃だ。
 そうこうしてるうちに、童子達に囲まれ景虎は童子の群れに笑顔を振り撒き出した。この分だとそれ程大した怨霊伏せが待っているわけでもないだろうと長秀は考える。
 不意に辺りを見回して、
 
「おい、直江はどうした?」
 
 いつもいるはずの人影を追っていた。
 しかし、その名の主らしき人物はいない。勿論、気配すら微塵も感じられない。
 景虎は苦笑しつつ、一人の幼女を童子の群れの中から掬い上げた。
 
「直江は肉親の元へ帰した。四六時中一緒にいると思うているのか?」
「そうじゃねぇ。俺が言いたいのは……」
 
 今生の景虎には彼の後見人たる直江信綱が今まで以上にぴったりと張り付いて離れない。理由は簡単だ。景虎の目が余り良くないからだ。
 怨霊伏せで負った傷が原因で視野が狭くなってしまったと柿崎晴家が言っていた。
 その不便を補う為の直江なのではないか……?
 
「…………ッ」
 
 長秀は言葉をぐっと飲み込み、舌打ちした。
 こいつが忠告を聞く玉じゃねぇか。
 
「何でもない。それよりどこか落ち着いて話せるところねぇのか?」
 
 足元へ視線を移した長秀は纏わりつく童子達をしかつめらしく睨んだ。
 しかし、童子達も何のその。一行に長秀から離れようとしない。
 その光景にはたと気がついた景虎はくすくすと笑い出した。
 
「何が可笑しい?」
「いや……」
 
 景虎の肩に乗る幼女はさも長秀に触りたいがごとく紅葉ほどの手を広げて、景虎と長秀の間で右往左往している。
 景虎は長秀の反問には答えず、危うく肩から落ちそうになる幼女を抱き直した。
 
「この男を気に入ったか?」
 
 その言葉に、景虎の頭部に巻き付いた幼女はにっこりと領いた。
 すると、景虎は大いに笑い出した。こんな景虎は何年ぶりだろうか。
 
「何がお可笑しい!?」
 
 あまりに痛い急所に蹴りを入れてきた餓鬼を摘まみ上げ、長秀は怒って言う。
 しかし、景虎、関せずにやんわり餓鬼の輪を抜け、ちらりと振り返った。
 
「立ち話もなんだ。私が世話になっている家に参ろう。長秀」
 
 それはこちらの科白だ、と睨みつけようにも餓鬼の悪戯は増す一方でなかなかそちらに視線をやれない。
 
「お千代。さあ、父様、母様が待っておろうよ。帰ろうぞ」
「待て! 景虎!! 待てって言ってんだろうがッ」
 
 業と無視して景虎は歩を進める。
 二進も三進もいかなくなった長秀を尻目に楽しんでいるのが懇ろに伝わってくる。
 
(――この餓鬼達、先の景虎への態度とはまるで違うではないか!)
 
 そして、頃合いを見計らった景虎がごく自然に一つ餓鬼共に発っした。
 
「もう、その辺で勘弁してもらえぬか。その者は私の連れだ」
「…………」
 
 その命令とも言えない他愛いない一言だけで、餓鬼共は波のように引いた。
 
「うん!」
「またね。三郎次」
「また明日もここでまってるからな!」
 
 方々から餓鬼の歓声が上がる。景虎も手を振って応える。
 
「…………」
(――こいつはここのガキ大将か?)
 
 長秀は無言で景虎の数歩後ろを歩いた。わざわざ呼び出して起きながら、その仕打に腹を立てていた。とても隣を歩く気はしない。
 しかし、悪気があると思っていないのか。景虎からは悪意らしきものは露も感じられず、気にせずお千代と戯れ歩く。
 
「ここが今世話になってる家だ」
「へぇ、お前にしては偉い立派な家を選んだな」
「ま、いろいろあってな」
「いろいろね。それにしちゃあ上出来だな。こちとら野宿を考えてきたんだ」
「だから、そんなに荷物が大きいのか」
「あたぼーよ」
 
 当然だ。何が楽しくて男達の群れで野宿しなければならないか。余興もさておき食糧が不足するなど言語道断だ。なにせ夜叉衆の中には大食漢な奴が一人いるのだ。
 
「まぁ、まぁ。お帰りなさいませ。三郎次様」
「様はよしてくれと言っておろう。波揶さん」
「いえいえ。大切なお客様ですから」
 
 と言いつつ、波揶と呼ばれた女は景虎からお千代を受け取った。
 
「連れがいるのだが……」
 
 抱かれたお千代が長秀にはにかむ笑顔を向ける。波揶はお千代と同じ笑顔を長秀に差し向けた。
 
「お疲れでしょう。暖かい夕餉と燗酒を用意しております。狭い家ですが、どうぞお入り下さいませ」
 
 長秀は軽く会釈して、戸をくぐる。
 
「へぇ。美人だな」
「手は出すなよ。亭主もちだ」
 
 後から入ってきた景虎はきっちりと長秀の独り言に釘を刺す。
 いちいち五月蠅いんだよ、他人の前がてら目だけに力を込め、土間に荷を置く。
 
「――おい。景――……」
 
 言いかけて……、閉口してしまった。
 一つ文句を言ってやろうと振り向いた時には既に景虎は長秀に興味なくお千代に夢中だ……。
 一体何のために来たのやら――……、
 理解しがたい長秀であった。
 
      ※
 
 長秀の歓迎と称した宴は終り、寝静まる最中、
 ――炉端には景虎と長秀だけが残っていた。
 主人の弥作もご友人と積もる話があるだろうからと身を引き、家を預る波揶は普通は最後までこの場に残るはずなのだが、お千代の側にいてやれと景虎が無理矢理寝床へ追いやった。
 この家に世話になって景虎は長いのか。弥作、波揶夫婦と景虎の間には要らぬ遠慮がない。渋る波揶も案外あっさり引き下がる。
 お猪口を口許に運び、ちらりと彼を見る。相も変わらず、行儀良く酒を啜っているではないか。口を開く様子もない。
 仕方なく、長秀から話を持ち出すことにした。
 
「……――で、俺に何の用だ。まさか直江の代わりをしろなんて言うなよ」
「そのまさかだったら?」
「…………」
「冗談だ」
 
 我が耳を疑う。景虎はそんな冗談を言う人物ではない。何かいつもの彼とは違う。そう直感で判断した。何か隠している。長秀は真意を見ぬかんとばかりに彼の眼を見た。
 しかし、やんわりと視線を受け止めてしまう景虎の感情は読めない。
 
「無論、お前にしか出来ないから呼んだ」
 
(……俺にしか出来ないこと?)
 
「…………」
「……まぁ、百聞は一見にしかずだ。明日現場に行けば解る」
「――――ッ」
 
 気に食わない。本気で気に食わない。
 確かにこいつにはいつでも気に食わないが、
 ――今回のそれは根本から意味の違う気にくわなさだ。
 その違いが今一つ飲み込めないからこそ、苛つく。
 
「……それじゃ、今夜はもう、寝てもいいんだな」
「なんだ。酒好きのお前がもうその程度で引き下がるのか?」
 
 立ち上がりかけた長秀むっと景虎を睨み返す。至って柿崎晴家のように酒が好きではないが、飲める時に飲む。出来るときにやる。風来坊になってからの彼の信念を逆撫でた。
 
「――『今宵は無礼講』――……、――良い言葉だな」
 
 景虎はそう言うと、熱い酒を喉に流し込む
 ますます長秀は困惑した。こんな景虎は見たことがない。
 
「……。――分かった。分かった」
 
 長秀はすとんと腰を下ろした。
 
「今日はとことん付き合ってやろうではないか」
 
 と言って景虎の前にお猪口を突き出す。
 
「…………」
 
 そんな横柄な安田長秀を前にして、景虎は微笑った。
 
「長秀はそれでなくてはな」
 
 と言いつつ並々とお猪口に注ぐ。長秀も不敵な笑みを浮かべて、
 
「今日は酒で勝負だ」
「望むところ――――」
 
 二人は暁を通り越し夜明けまで飲み明かした。
 
 

続 第二章 怨敵


 

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