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アレクサンドロス大王と東西文明の交流展

2003年8月5日−10月5日 東京国立博物館 

※ ↓の展示物については詳細・ガイドを参照ください。なお、の印があるものについて詳細があります。

展示目的

 紀元前334〜323年、アレクサンドロス大王の東征によって、ギリシャ文明は地中海東岸から中央アジア・インド亜大陸に至る広範囲に伝播して、在来の文化的伝統と融合したヘレニズム文明となり隆盛をもたらした。
 ギリシャ美術の伝播と受容の過程を辿るとともに、その余波が、シルクロードを経てはるか極東の日本にまで到達したことを検証する。

展示:

  1. アレクサンドロス大王以前の美術
     前5c頃、宮廷美術を完成させた東方のアケメネス朝ペルシャと理想的写実主義の美術を完成させた地中海沿岸のギリシャ都市の2つの地域において対照的だがその発展に繋がる根元を同じくする美術が完成し存在していた。
      〈エジプト的な展示物が多かった。どうやら壺もまだ、上手くできないぐらいの技術水準だったみたい。〉
  2. アレクサンドロス大王の登場とその時代
     アレクサンドロス大王によるアケメネス朝ペルシャの征服は大きな文明史的変化をもたらした。宮廷美術は滅び、それに代わってギリシャ美術が東方地域に進出し、写実性豊かなヘレニズム美術を生み出した。
      〈頭部と胴体が繋がっていない彫刻が多かった。アレクサンドロス大王がいろいろな神、ヘラクレスや牧神などに例えられた彫像などが展示されてた。〉

    『うずくまるアフロディテ』
     この像は右手を上げて左手で脇に触れる体勢なのだが、観ていて違和感。同じポーズをとろうとしてもどうしても右手のほうは同じにできない。うーん、と像の前でポーズをとっていて無理だー!! と説明を読みにいくと修復に失敗したらしい!!

    『眠るヘルマフロディテ』
     両性具有の非常に美しい像!! うつ伏せに寝っ転がっていて、右側面からはぷりっとお尻と愛らしい幼い顔が覗かせていて、左側面からはこれまたぷりっとした胸と何を間違ったか男性器が見える。……。こういう像って今までに見たことがない!! 自ずと目線は……。うーん、残念なことに男性器一部破損、割れ目が筒状になっている。大理石の内側って空洞なのかな??

    『アフロディテ女神像』
     宗教って恐いなーと思った作品。だって、キリスト教徒によって、他宗教のギリシャ彫刻ってことから顔を十字で削られちゃったんだよ!! うーん!! そういうのって昔から当前のように繰り返されるけど、もったいないなー……。綺麗な像なのに。
  3. 東西文明〜ヘレニズムとイラニズム〜
     前3世紀中葉以降、ヘレニズム国家が衰退して、その文化を継承するイラン系の王朝の出現により、ギリシャ文化とイラン文化が融合をとげて、それに加えてインド文化が融合した文化が生まれる。特にクシャン朝下のガンダーラにおいて、その象徴的なガンダーラ仏教美術が誕生した。
      〈うーん、段々と西洋から外れてきたぞ。でも、まだ仏教の色はそれほど強くないと思う。大理石じゃない荒々しい石で彫られているから雰囲気変わるね。神様も西方からきたものや、ヒンズー教、仏教と多種多様。〉
  4. 日本への道
     その影響の根元はガンダーラの仏教美術である。ガンダーラでは、ギリシャの神像をモデルとして仏教の尊天を肖像化し、天部像などを守護像を創造した。そのギリシャ系尊像のいくつかは、中央アジア、中国を経由し、大きな変貌を遂げながら日本にまで伝播した。
      〈キャー!! 多少なりとも仏教における天部の仏像を某サークルにて研究した私♪ 小躍りするように、その西欧からの影響の系譜を眺めて目をキラキラと輝かせて仏像に見入る私(爆)いいね〜と感慨にふけりつつ眺めていた。でも、ちょっと無理あるんじゃない? 変だよ。その説明と思う箇所も少なからずあった〉

    『執金剛神立像 快慶作』(京都 金剛院)12〜13世紀
     久々に快慶作の像を見た。快慶作は天部になると表情では快慶作か見分けにくい。(私だけか?)でも、やはり、綺麗な作品だと思う!! これも極めて希少性の高い執金剛神の代表作だけど、東大寺法華堂の執金剛神が最高だと思う。執金剛神とは金剛力士像(阿吽に口を開いた上半身裸の像)を単独の場合(大抵甲冑を纏うことになる)での名称で、興福寺の金剛力士像も質感のあるいい作品だと思う。挙げると切りがないなーぁ。

    『兜跋毘沙門天立像』(国立奈良博物館)11世紀
     おお!! 東寺の毘沙門天像か!? と思って説明書きには東寺のを『模倣』したと書かれてある。そりゃ、見たことあると既視感覚えるよなー、と思いつつ、どこから来たのか、見ると『国立博物館』。ああ、こりゃ、絶対これ自体本当に見たことあると考え改め。だいたい奈良博での展示場所も検討がつく。だって、奈良に行くならほとんど絶対立ち寄る博物館だからだ。見ていない訳がない!! 良い像だ〜(特別な気持を込めて)。
     ちなみにこの像が踏みつけている地天が毘沙門天を支えて、その両脇の尼藍婆と毘藍婆の二鬼が寄り添っている形になっている。

    『大黒天立像』(福岡 観世音寺)11世紀
     大黒天の中で最古のだってよ!! 超ラッキー!! だいたい大黒天っていうと二等身とか三等身(現世利益と結びついて人々になじみ深い造形になっていった結果)を思い浮かべるだろうけど、これはより人間的な像。だから、可愛らしさとか全然ない。うーん、でもね。まー結局は仏像鑑賞の基礎知識本の仏像巡礼辞典(山川出版社)の大黒天のイラストはこれがモデルなのです。と言うことは写真やイラストでは何回か私見たことあることになり、やっぱり本物見られると嬉しいんです!!
コメント:

 まー、全体的にとても良かったと思う。でも、やっぱり三十三間堂の風神像が出展できなくなったのは残念だった。風神の絵の見本的な存在であるだけ悔やまれる。代打でやってきたと思われる風神雷神図屏風は悪くはないんだけど、立体と平面の迫力の違いは大きかった。
 うん、アレクサンドロス大王がもたらしたギリシャ文明が極東の日本まで到達したというその過程が分かり易く展示されてたと思う。でも、ちょっとその論は強引すぎない?っていうのがあった。逆に誤解されやすい表現を使っているような気もする。確かに大黒天や毘沙門天のルーツにヘルメスが、風神のルーツに北風の神ボレアスが、鬼子母神のルーツにテュケが…etcといった具合になる。一般の人は同一視しかねないと思う。
 仏教は異教の神を仏教の守護神として取り入れる特性があるので、同一視しても良いのかもしれないが、取り入れられた時点でその神を完璧な同一視はできなくなると思う。本来の役割と全く異なる役割を負い仏教の神となるからだ。文化の影響を受けて新たな神が創造されたという考えが抜け落ちると、造形・装飾の変化だけではないという主張とは相反する感じがした。

当時のあれこれ:

 二回見に行ったけど、一回目の時は帰りにオーケストラを聴いた。ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」がメインだった。うーん、良いね。この日は久々な事ばかりで本当に楽しかった。
 二回目の時は国立博物館の平常展も見た。これがなかなか良かった。まず仏像の場所はなかなかの名品揃いだった。二回の催しのほうは「日本美術の流れ」と題して古代から現代まで展示されていて案外に面白かった。でも、狩野派の絵がなかったのは大徳寺展の為なのかな、なんて考えたけど、長谷川等伯の松林図は盛況だった。ぎりぎりまで楽しみました〜♪ 

参考資料:

 ・チラシ ・展覧会による壁の説明書き

詳細・ガイドへはこちらから
2003/10/14
Alexander the Geat East-West Cultural Contacts from Greece to Japan

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アレクサンドロス大王と東西文明の交流展:詳細 ガイド
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展示目的
展示
  1. アレクサンドロス大王以前の美術
  2. アレクサンドロス大王の登場とその時代
    『うずくまるアフロディテ』
    『眠るヘルマフロディテ』
    『アフロディテ女神像』
  3. 東西文明〜ヘレニズムとイラニズム〜
  4. 日本への道
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アレクサンドロス大王と東西文明の交流展

2003年8月5日−10月5日 東京国立博物館 

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展示目的

 ギリシャ北部に位置するマケドニアのアレクサンドロス大王は、オリエントの大国アケメネス朝ペルシャ帝国を滅ぼし、エジプトから中央アジアに至るその版図をことごとく征服しました。これはアレクサンドロス大王の東征(前334〜前323)として広く知られる史実です。これを契機として、ギリシャ文明は地中海東岸から中央アジア・インド亜大陸に至る広井範囲に伝播し、在来の文化的伝統と融合したヘレニズム文明の隆盛をもたらしました。
 本展覧会では、2004年アテネオリンピックの関連文化財として、ギリシャ政府の多大な協力を得、ギリシャ国内の美術館から多くの貴重な文化財が出品されています。また、大英博物館、ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館など世界有数の美術館が所蔵し、世界的に知られる美術作品を一堂に集め、ギリシャ美術の伝播と受容の過程をたどるとともに、その余波が、シルクロードを経てはるか極東の日本にまで到達したことを検証します。
 地中海世界からユーラシアを横断して極東に至る壮大な文明の路を、ダイナミックに展観します。
(チラシより)


展示
  1. アレクサンドロス大王以前の美術
     東方ではアケメネス朝ペルシャ(前6c〜前4c)で新アッシリア、新バビロニア、エジプト、エラムの文化を総合・集大成して最高度に発展した宮廷美術が完成した。
     一方、地中海沿岸のギリシャ諸都市も古代オリエントやエジプト、ミュケナイの先進文明を受容しながら、アルカイック時代(前7c〜前6c)からクラッシク時代にかけて卓越した理想的写実主義の美術が完成した。
     このように前5c頃は根元を共有するが対照的な発展を遂げた2つの古典美術が地中海世界とアジア・中央アジアにおいて対峙し、均衡を保っていた。そして、ギリシャでは、オリュンボスの12神をはじめとする神像が創造されたが、東方では偶像否定の傾向が顕著であった。

  2. アレクサンドロス大王の登場とその時代
     アレクサンドロス大王によるアケメネス朝ペルシャの征服は、西アジア、中央アジアに大きな文明史的変化をもたらした。アケメネス朝の宮廷美術は滅び、それに代わってギリシャ美術が西アジアから中央アジア、インドなど東方地域に進出し、写実性豊かなヘレニズム美術を生み出した。この大きな文明史上の転換は、アレクサンドロス大王がアケメネス朝軍を打破した戦勝図(ボンペイで発見された「アレクサンドロス・モザイク」)が見事に物語っている。この図の歴史的重要性は、西アジアやエジプトなど戦車を主力とした伝統的戦闘方法が、新興ギリシャの騎兵隊を中心とした戦闘方法にとって代わることを予見されている点であるが、それに類する変化は造形美術の分野でも行われる。

    • アレクサンドロス大王
       アレクサンドロス大王は前356年にマケドニア王国の首都ペラブに生まれ、父王フィリッポス二世の遺志を継いで、東征を開始したのが前334年、そして、前323年にメソポタミアのバビロニアで病死した。死の直面まで艦隊建造を推進し、次には香料の産地、アラビアを攻略する予定であった。記録によれば、彼は天才的軍事司令官で、時には無謀な作戦を実行し、常に自ら先頭をきって突撃した。それだからこそ配下の将兵も決死の覚悟で闘い、数で勝るペルシャ軍を破ることができたのだろう。彼の肖像は彫像、コイン、モザイクがなどに見られる彫像の制作は作家リュシッポスだけに認められた。コインにはライオンの皮を被ったヘラクレス姿の王が表現されている。

    • ギリシャ・ローマの神々を中心とした展示
       ギリシャやローマの神々の像を多数用いたのは、ギリシャ美術の影響がガンダーラの仏教美術を介して日本まで到達している事を、従来の様式比較の観点ではなく、図像学的に実証するためである。ギリシャ・ローマ系の神々は中央アジア、西部のグレコ・バクトリア王国から、あるいはローマ帝国(エジプトのアレクサンドリア)からインド洋を経てガンダーラに伝播した。中ではヘルメス=メリクリウス神、ヘラクレス神、ディオニュソス=バッカス神、ボレアス神(北風)、テュケ女神(豊穣と都市の守護)、ニケ(勝利)、ヘパイストゥス(造化・鍛冶神)、アトラス神、ポセイドン神、ニュクスニノク女神(夜)エロスなどがガンダーラ仏教美術に取り入れられた。


    『うずくまるアフロディテ』
     トルソ部を右脇の方へ捻っており、ヘレニズム時代後期に生まれたロドス・タイプに基づく模刻。18世紀に誤った修復がなされたが、本来は両腕を上げて、頭の左右へ神を持ち上げ神の水を絞ろうとするポーズ。

    『眠るヘルマフロディテ』
     ヘルメスとアフロディテの間の子。泉のニンフ・サルマキスがその美しい身体に恋心を抱き、泉で泳いでいるところに絡みついて合体したため、二人は一見女性だが、男性性器も有する両性具有者となったという。ヘルマフロディトスと呼ばれることもある。

    『アフロディテ女神像』
     プラクシテレス作「クニドスのアフロディテ」あるいは「コス島のアフロディテ」の模刻とする説がある。額と顎に十字が刻まれ、両目が破壊されているのは古代末期のキリスト教徒によるもの。

  3. 東西文明〜ヘレニズムとイラニズム〜
     アレクサンドロス大王の所領の大半を継承したセレウコス朝によって東方地域から伝播したギリシャ文明は、グレコ・バクトリア朝によって中央アジア、ギリシャ愛好を標榜したイラン系のアルサケス朝下ではイラン文明の復興があり、グレコ・イラン式の美術が生まれた。さらにササン朝下では、敵対していたカーマの美術を受容して、グレコ・イラン式美術を創造した。
     一方、中央アジア、インド亜大陸では、クシャーン朝下のガンダーラにおいて、グレコ・ローマ、イランインドの美術の交流が進み、グレコ・ローマ・インド・イラン式のガンダーラ仏教美術が誕生した。

    • コインに見る国王と神
       ギリシャ系のコインでは表に発行者(国王)、裏に国王ないし王家の守護神を刻印するのが常であった。国王像は胸像が多く、やや理想化されているとはいえ、個性豊かな風貌が写実的に描写され、美術品としても第一級のものである。一方、裏面の神々は王家が格別に進行した神(祖先神)が用いられる場合が多い。セレウコス朝では特定の宗教に属する神ではなく王朝の開祖アルサケスを神格化して用いた。一方、グレコ・バトリア王国では各王家の守護神、クシャーン朝では拝火教の多数の神々が中心であるが、その他に仏教(仏像)たヒンドゥー今日の神々も用いられているので、心境の自由が認められていた。

    • ガンダーラ美術の再読
       ヘラクレス、ヘルメス=メリクリウス、ボレアス、テュケを取り上げ、それらがガンダーラにおいて仏教の神や天部の直接的モデルとなっていることを図像学的に明示した。まだ神ではないが「霊魂の導師的存在」である海獣(ケートス、トリトン)を重視し、それらが仏教徒の到彼岸=涅槃=極楽往生のエスコートとして用いられた。やがてその役割が釈迦牟尼仏陀にとって代わられ、仏像が創造されたという新しい見解を提示している。またディオニュソス神に関するエロティックな図像も積極的に用いたが、これらが通説とは異なり、到彼岸=涅槃=極楽往生の至福、悦楽を具体的に再現している聖画像があったからである。


  4. 日本への道
     古代日本美術は仏教文化から大きな影響を受けたが、その影響の根元はガンダーラの仏教美術である。ガンダーラでは、神々を擬人像で表現するギリシャの伝統に従って釈迦牟尼の肖像を創造したが、その他にもギリシャの神像をモデルとして仏教の天部像など守護像を創造した。そのギリシャ系尊像のいくつかは、中央アジア、中国を経由して東漸したがその間に大きな変貌を遂げながら、日本にまで伝播したギリシャの神像は@ヘルメス神=メルクリウス神=毘沙門天(兜跋毘沙門天、多聞天)および大黒天、A北風のボレアス神=風神、Bヘラクレス神=執金剛神、Cテュケ=訶梨帝母=鬼子母神である。
  • ヘルメス
      →毘沙門天(ペタソス帽の翼を毘沙門天の兜に受け継がれた)
      →大黒天(巾着を大風呂敷に代えて片に担ぐ)
  • ボレアス
      →風神(ボレアスの翼はガンダーラで消失したが、マントないしショールは東漸し、やがて福袋となる)
  • ヘラクレス
      →執金剛神(ゼウスの武器―雷霆が帝釈天の金剛杵となる。ヘラクレスが帝釈天にとって代わり棍棒に代えて金剛杵を持つに至る。筋骨隆々とした仁王像もヘラクレスに由来する)
  • テュケ
      →架梨帝母→鬼子母神(豊穣の角を受け継いだ女性が多産の女神と習合して、幼児を安産の女神へ)
(展覧会場壁の説明文より)


2003/10/14
Alexander the Geat East-West Cultural Contacts from Greece to Japan

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