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「世界は俺色に染まる」 
〜巡り逢い編〜


「…………」
 佐々木はゆっくりと周囲を見渡した。
 後にはなにも残されない。残っていない。否、残らないのだ。
 そして――、
 月明かりに照らされる青年。
 彼はゆっくりと身体ごとこちらへ振り返った。
 それだけの行動で絵になる人物はそうはいない。乱れた髪さえも彼を飾るアクセサリーにすぎなく思えるほどに。
 その青年がこちらを見ている。何か言おうとしたのか口を開いたが、閉じるとともにがしがしと髪を掻き上げた。
 それから、再び青年はちらりと佐々木を見たが、今度は俯かず仰のいでしまった。
 だから、尻餅をついて座ったままの佐々木には到底、青年の表情を知る由もない。
 二人を照らす街灯は仄かに揺れている。消えることのない光は微妙に明るさを変えて独特のリズムを刻んでいる。
 夏場ならその仄暗い光に雑多な羽虫が群がっているだろうに。だが、しかし――今は冬だ。そういった虫はいない。
「…………。――大丈夫か?」
 しばらくして青年の、視線がひたと佐々木を捕らえた。
 妙な沈黙を破り、先に声をかけたのは青年のほうであった。ちらちらと佐々木を窺うのを止めた青年は破顔して手を差しのべてきた。
「――ああ」
 その手を取り、佐々木は立ち上がる。
「怪我は?」
「――ない、と思う」
「そうか」
 佐々木は尻をぱんぱんと叩き、埃を落とすのを青年はじっと眺めている。
「何?」
 佐々木と青年。たぶん、歳はそう変わらないだろう。二十五、六といったところか。せいぜい高くても七、八、まず三十の大台は乗っていないだろう。
「いや、あんたが生きているとは思わなかったから……」
「…………」
 佐々木は眉を顰めた。
「なんつーか」
 青年は眼鏡のブリッチを軽く持ち上げた。
「――驚いている」
「…………」
 この青年は何を言いたいのだろうか。佐々木には意味が解らなかった。
 生きているとは思わなかった? それは先程巻き込まれた事態で死んだと思ったということなのか。
「確かに普通の人間ならあんなの喰らったら一溜まりもないだろうな」
「……いや、そうじゃなくて」
「だから、お互い無事で良かったじゃないか」
 佐々木は会話を切るように言い切った。
 こういう得体の知れない人物とは関わりあわないのが得策だ。
「――いや、だから……」
 ピルルル……。
『佐々木〜っ!』
「すみません。ちょっと事故に巻き込まれて、すぐ行きます!」
『事故!?』
「たいしたことはありませんから!」
 すぐに行きます! と再度言って佐々木は通話切った。
「じゃ、そういうわけで急いでるので」
「え? ああ……」
 すいっと落ちたオレンジを掬い上げて、佐々木は走りだそうとしたのだが――。
「…………。何?」
「いや、あの……」
 青年は佐々木の二の腕を掴んでいた。
 それも思った以上に力強く、無理矢理振りほどくには躊躇われるほどであった。
「…………」
 言葉でない言葉。
 青年と佐々木の眼差しがかち合えば、青年は訴えるように、そして、求めるように佐々木を見る。が、佐々木にはそうされる覚えも言われもない。それに時間もないのだ。
「巻き込んで悪かった」
「…………」
 佐々木は眉を顰めた。それがこの男の言いたいことなのだろうか。
「別に終わったことをとやかく言う気はない。急いでいると言ったんだけど」
「ああ……、だから、詫びがしたいんだ。名前と住所を教えてもらえないか」
「別に詫びなんて――」
 ――いらないから離してくれ、と続く言葉は腕を掴む力が増したことで食い止められた。
「そうはいかない。俺は詫びたい」
「いいって」
「よくない」
「離せ」
「嫌だ」
「…………」
 佐々木は恨めしく相手を見た。
 永遠に続きそうなこんな口論をしている場合ではないのだ。
 かと言って、暴力に訴えようと、この長身で体格の良い相手をいなすのは難しそうである。
「教えてくれたら、離す」
「…………」
 真剣な響き。にやりと意地悪く笑いそうなその口が紡ぐ言葉。ここまで男前の男が真剣であると、なかなかに見物だ。
 こんな口説き方は笑顔で意図が見えた軟派より、時と場合によっては性質が悪いと佐々木は思う。
 きっと女がこの男に迫られたなら、ころっとイッてしまうのではないだろうかと思う。
 しかし、生憎、佐々木は男だ。
「……別にいいっているだろう? 離してくれ」
「離したら、教えてくれるか?」
「知りたければ、暗示でもなんでも掛けて強引に聞き出せば良いだろ!」
「!」
 なぜそんな言い分が佐々木の口から飛び出たのか。
「けど、おまえみたいな奴とは関わりたくない」
「…………」
 掴む手からゆるゆると力が抜けるのが分かった。そして、佐々木から青年の手は離れ、
「分かった」
 男の手はコートのポケットに向かう。横顔はどことなく寂しく見えたのは気のせいか。
 佐々木は荷物を抱えなおすと青年を気にせず、いや、気にしないようにして走り出した。
「…………ッ」
 そうでなければ、到底走りだせはしなかったから。思わず手を差しのべてしまいそうなほど心は揺れ動いていて。
「…………」
 店への近道の公園を抜けたところでようやく立ち止まった。もう目的の店とは目と鼻の先である。
 佐々木はゆっくりと周囲を確認した。道を曲がり終えたところで感じえたあの男の視線は感じなくなっていた。それでも、確認せざるを得ないのは。
「…………」
 ゆっくりと佐々木は息を吐きだした。空気とともに押し出されたのは緊張である。心に刻まれるほどやけに月を背負うのが似合う青年であった。あの強い眼差しが自分を追い掛けてきていないことへの安堵感は大きい。だから、そこにもう一つの感情があるのを佐々木は気が付いてはいない。
 いや、故意に気付かない振りをしたのかもしれない。
 その感情に名前を付けるとするならば、

 ――罪悪感。

 ……である。
 あの縋る眼差しを振りきったことに対する代償。それがきっとその名である。
 悲しくも――……強い、眼差しが伏せられて、街灯の光をはね返す眼鏡の奥にしまう想いは……。
 捕らわれれば、動けなくなる、と……その時佐々木は思ったのだ。だから、背を向けた。見てはならないと。そして、あの手を振りきったのだ。行き場を失うと知っていて振りきった……。
 あの、見放された子供のような眼差しに、伏せられた眸の中の感情に。
 ……知ってしまえば――……戻れなくなる、と。
 だから。
「――――……」
 心の中に残る焦燥感が燻る。
 けれど、その感情の本当の出所を知る術を今の佐々木自身では、持ちえないのである。


                   ――end.

 

-- 初出:携帯メールで日記より 05/11/9〜11/23 加筆修正 --

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あとがき
千秋&佐々木氏でした。
独自の世界を突っ走っております……(汗)
でも、千秋幸せになってもらいたい一心で書いておりますので!!
本当にとかくこの二人には幸せになってもらいたいものです。はい。
ああ、それと佐々木氏に一つ。
彼はまーぶっちゃけ色部氏ですが年寄り臭く書く気は毛頭ありません。
若くハツラツと描ければいいなぁと思っております。


2005年12月19日  たつみ れい




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