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「世界は俺色に染まる」 
〜迷走編・番外 祈り〜


「きれいでしょ」
「…………」
 私が彼を伴って向かった場所は、家の近くの公園だ。
 私たちの目の前にそびえたつのは、
「――ああ、こりゃ」
「すごいでしょう」
 樹齢四百年を越える銀杏の木。
 瞬く電球に彩られて鎮座ましましている。
「おい。南都……これって」
「ふふん。なかなかの穴場なんだよね」
 見上げる彼はただただ唖然としている。
 それだけでも私は満足だった。
「……これって」
「銀杏の木よ」
 私は彼に勿体ぶることなく答えた。
「――すごいコラボ、だな」
 銀杏に電球。
 笑いたくなってしまうほど、斬新で日本人らしい。大方、もみの木の代用に丁度良い形をしていたから飾ってみた、みたいなところだろう。勿論、銀杏は銀杏に違いないから、落葉してある意味素裸な木に飾り付けられている。
「ま、こんなもんでしょ」
 日中ならいざ知らず、夜ならまったく遜色無くクリスマスツリーだ。どんなにこの木を見つめても、それ以上でも以下でもない。
「そうよ。こんなものよ」
 私は語気強く同じ言葉を繰り返した。
「さすが日本人って感じで私はこっちのが好き」
「信仰なんてあったもんじゃねーな」
「それがいいんじゃない」
 自嘲気味に言う彼は何を思うのか。
 きっと、というより間違いなく彼が考えるより皆、思った以上に単純なのだ。それも気が付かないような彼ではないだろうに。
 見た目とは裏腹に案外、この居候は真面目だと思う。
「楽しければいいのよ」
 深い意味なんてない。
「クリスマスなんてそんなものよ」
 この木が本来、何であるかなんて考えていない。たとえその木が飾られることが不本意だと思っていたとしても。
「この木には悪いけどね」 私は舌を出してみせた。
 そうして、ゆっくりと視線を銀杏の木に私は戻した。
 瞬く木は道化師のようだ。黙って文句の一つも言わず佇み、おどけてみせながらただ時間が過ぎ去るのを待ち続ける。
 自分という存在を消してまで。
 多くの人に幸福せを分け与えて。
 ――在り続ける存在。
「――でも、千秋がこの木になる必要はないよ」
「…………」
 そんな存在は、
「別にあんたが他人の幸福(しあわせ)に貢献しなくってもいいってこと」
 ――悲しすぎる。
 私には千秋がそう映っていた。
 いつでもどんな時でも自分のことより他人のこと。
 時折見せる微笑は完璧で。
「俺はこの木と同じか?」
 到底、……心からの笑みには見えなかった。
 ずっと木を眺め見ていた彼の横顔が私を認識して笑む。いや、笑もうとした。
 一瞬、伏せられた眼差し。
 被いかぶさる目蓋に揺れる睫毛。
 歪んだ口元は確かに笑んでいた。
 けれど。
「千秋ってプライド高いよねえ」
 私ははぁと息を抜いた。
 この後に及んで、と思う一方、なぜかそれでこそ彼なんだと思えてしまう。
 きっと彼はこうして生きてきて、これからも――。
 どんなに辛くても……。
「自分で分かってて知らないふりするんだから」
「どういう意味だよ……?」
 見上げれば、徐々にムッとしていく表情の居候の顔がこちらを見ていた。
 案の定の表情に笑いたくなるのを抑えて私は大きく一歩前に出て彼に背を向けた。
「そのまんまよ。そのまーんま!」
 澄み切った空に雲はない。
 吸う空気の冷たさに心は締めつけられ、吐く空気の暖かさに視界は霞む。
 それでも私は、大きく深く空気を吸い込んだ。
 今日という日に奇跡が存在するならば。
「もっと素直に生きれば?」
 仰ぎみる先の表情が少しでも和らぐなら。
「…………。俺はいつだって――」
「嘘ばっかり、それのどこが素直だっていうの。この意地っ張り!」
 今日という日が彼にとって何かが最後となるなら。
「――――なっ」
「そんな顔で言っても説得力ないし」
「…………」
 見つめる先で瞳が揺れている。
「笑って――」
 けれど、私から瞳が逸らされることはなく。
「嘘をつくのは」
 その強靱さが――……。
「つらくない?」
「――――……」
 ゆっくりと表情が動く。
 降ろされた瞼。
 きつく引き結ばれた唇。
 静かに、握られる拳。
 ただそれだけの仕草なのに。
「つかなけりゃならない……嘘も、ある」
 ひたと私を見据えて彼ははっきりと言った。
「つらいでしょ」
 泣きそうになる。
 告げてみたところで……解っていても告げずにはいられなかった。
「それでも、だ」
「…………」
「それでも、なんだ……」
 泣きそうになる理由。
 絡まる視線。
 確かに私を見ているのに……。
 彼が瞳に映す世界は……。
 私は唇を噛み締めた。

 彼は――……私を、見て、……いない。

 だからだ。
 だから、こんなに胸が痛む。
 どんなに私が彼を好きでも――。
「これから、……何処へ行くの?」
 彼は一人で彷徨い続ける。
 独りで誰かを――。大切な人を――胸に抱いて……。
 そう私が気が付けるのは。
(…………)
 もう自分でも気が付いていた。自分の……彼に対する、……気持ちに。
 怒ったり、怒鳴ったり、反発してみたり、その感情の出所など――……分かり切っている。
 始まる前に、……終わっている。
「…………」
「そんな顔して――」
 泣きたいのは、どちらのほうか。
「手放したく」
 涙は、ない。
「――ないんでしょう?」
 涙はないが、
「あの人には――」
 彼(か)の無表情な顔に私は手を伸ばした。
 すべてがフィルムのようにコマ送りだ。
 彼へと伸ばす私の指先。
 その手を包み込む大きな手。
 近づく大きな胸。
 力強く、切なく、私を掻き抱く腕(かいな)。
 耳をくすぐる吐息。
 そして――、

 ――幸せになって、もらいたい。

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