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仰木家シリーズ4  著・なぎ様(蜃気楼の館




【eternal love】




五月七日。
高耶と美弥が宇都宮から帰宅した翌日。
茶色のブレザーに身を包んだ学校帰りの高耶の手には小さなペーパーバッグが握られていた。
一口に携帯電話といっても機種も契約会社もさまざまである。
松本駅に到着し改札を出ると、高耶は真っ直ぐに携帯ショップに足を向けた。
最新のカタログと申し込み用紙を貰ってから家路につく。
携帯電話の購入を美弥に散々からかわれた。
途中で譲の家に電話を入れて近所の公園で待ち合わせ。
宇都宮の土産を渡し、カムフラージュ用の伊勢名物の【赤福】を受け取り家に帰った。
ただいまの挨拶もそこそこに自分の部屋に直行して携帯のカタログを開く。
はっきり言って高耶にはどのメーカーの携帯が良いのかいまいちわからない。
美弥と同じメーカーの携帯にしようと思ったが止めた。
同じ携帯では勝手に操作されてしまうかもしれない。
カタログで選んで店の棚に並べられた携帯電話を手にとって悩むこと30分。
ようやく決定した電話は直江が持っていた携帯と同じメーカーの色違い。
お揃い・・・というつもりでもなかったが、同じものを持っているのはちょっと嬉しいかもしれない。
高校三年生=未成年=契約には親の承諾が必要。
あらかじめ手に入れておいた申込用紙の「保護者同意欄」には申し訳ないと思いつつ勝手に印鑑を押した。
ついでに父親の免許証を拝借してコンビニでコピー。
こうして高耶は父親に内緒で自分の携帯電話を手に入れたのである。










五月中旬に行われた中間試験。
それから慌しく時は過ぎ、六月末からは一学期の期末試験が開始された。
いつもならば問題用紙とご対面しただけで頭痛を感じていた高耶であるが、行きたい大学も決まった今、高耶の頑張りは目を見張るようであった。
中間試験での平均点も大幅にアップし、今回の期末も自信を持って解ける問題が増えている。
さらさらとシャーペンを走らせて解答用紙を埋めていき、残り時間十分となったところで第一問からもう一度答えの見直し。
迷うところもあったのだが、最初の直感を信じ答えを訂正しなかった。
最後の問題までチェックを終えたところで試験終了のチャイムが鳴り響く。
本日は期末試験の最終日。
開放感に生徒たちはホゥと息を吐いた。
シャーペンを放り出して机に突っ伏す生徒もいる。
一番後ろの生徒が順に解答用紙を集めて教卓に座っている教師に渡し、解答用紙の束を抱えた教師が教室を出て行くとわっと歓声があがった。

「たーかや。どうだった?」

テスト期間中は出席番号順に並ぶため、普段は近い譲の席も離れてしまっていた。
カバンを脇に抱えて高耶の席までやってくると誰もいない椅子にすとんと腰を降ろした。

「んー、まあまあかな?いつもよりはできてると思うんだけど」
「去年の秋頃から、おまえ頑張って勉強してたもんね。どう?大丈夫そう??」
「夏休みに東京の予備校行って夏期講習受けてこっかなーと思ってんだ。今からでも申し込みってできるよな」
「大丈夫なんじゃない?」
「進路指導の山川に訊けばいい予備校教えてくれっかな。帰る前にちょっと進路指導室寄って行こう」
「だったら俺も行くよ。その後マック寄って何か食べてかない?」
「そだなー。久しぶりに寄ってくか」
「よし、決定。それじゃあ行こう」

元気よく椅子から立ち上がる。
高耶も机の上のペンケースをカバンに突っ込むと椅子から立ち上がった。
帰宅する生徒たちの間を通り抜け一階の進路指導室のドアをノックした。
担当教諭の山川の声がするのを待って「失礼します」とドアを開ける。
譲を廊下に残して進路指導室に入り、山川教諭と少し話をしてから数冊の予備校のパンフレットを受け取った。

「なあ、先生。どこの学校が一番いいんだ?」
「おまえね、先生に対する言葉遣いをどうにかできんのか?」
「固いこと言うなよ、せんせ。オレ、かなり真剣なんだけど」
「先生たちに逆らってばかりいたおまえが、真面目に大学受験を考えるようになっただけでも立派なもんだ。この予備校は講師の質もいいし、評判も高いんだが・・・今からだと定員オーバーかもしれんなぁ」
「マジ?しまったな、もっと早く申し込めばよかった」
「こっちの予備校もそう悪くないぞ。先生の後輩が事務局に勤めてるから訊いておいてやるよ。また明日来てみなさい」
「頼んだぜ、山川サン」
「山川先生、だろ」
「はいはい。んじゃ、また明日来るよ。じゃあな」

ひらひらと手を振って高耶は進路指導室を後にした。
山川が苦笑いを浮かべてため息をついたことを高耶は知らない。
廊下の壁に背中をもたれさせ譲は昇降口に向かう生徒たちを目で追っていた。

「待たせたな。行くぞ」
「いい予備校あった?」
「山川サンが問い合わせしてくれるってさ。また明日こいって」
「おまえ、ガッコの先生に逆らってばっかりだったのに山川サンにだけは懐いてたよね」
「だってあの先生だけじゃん。オレのことヘンな目で見なかったの」
「日頃の態度の問題だろ?ま、昔の噂で生徒を判断した先生たちも悪いけどね」

くすりと笑って譲が高耶の背中をぱんと叩いた。

「ほら、帰ろう」









期末試験の答案が返されて、顔をしかめるものと頬を緩めるものがいる。
まずまずの点数に高耶は胸を撫で下ろした。
努力と結果が比例しているのは嬉しい。
知らず緩んでいる高耶の表情。
突然後ろの席からすぱんと後頭部を叩かれた。

「いってぇなっ!なにすんだよ、千秋っ!!」
「大将がシマリのねぇ面してっからだろ。そんなに良かったのかよ、テスト」
「おまえには関係ねーだろ」

叩かれた後頭部を押さえて高耶が振り返る。
メガネの奥の涼しげな瞳を細める千秋。

「数学96点。すごいね、高耶。俺より点数いいじゃん」
「へぇ。このクラスの最高得点っておまえのことだったの?」
「こら、勝手に見るなよっ!」

テスト用紙をがしゃがしゃと集め、高耶はカバンの中に無造作に突っ込んだ。
ちらり、と千秋を見ると何か言いたそうにニヤニヤ笑っている。
横目で睨み、高耶は唇を尖らせた。

「何笑ってんだよ」
「いや?愛の力は偉大だな〜って思っただ・けっ」
「殴られてぇのか、千秋」
「ほんとのことでしょ。春から晴れてダンナとあま〜い同棲生活送るために涙ぐましい努力」
「マジで殴られたいみてーだな、てめぇは」

胸倉を掴みかけた高耶の手を譲が止めた。

「どーしてテストの点数がよかったのに怒るんだよ」
「コイツに言われると、なんか小馬鹿にされてるみてーで腹立つんだっ!!」

一発ぶん殴ってやる、と高耶が拳を振り上げたところで教室の入り口から垣本という隣のクラスの男子生徒が顔を覗かせる。
彼の姿に気づいたのは譲が一番早かった。
垣本は譲と同じく吹奏楽部員なのだ。

「垣本、どーしたの?」
「よぉ、成田」

垣本は譲に向かって軽く手を上げると、高耶に視線を移した。

「仰木、山川先生が進路指導室まで来いってよ」
「わざわざ悪いな。っつーわけで、オレ、進路指導室行ってから帰るわ」









進路指導の山川教諭の用件は、申し込んでいた予備校の席が確保できたとのことだった。
受講票と十日間の予定表。
授業料の納付書を渡され高耶は進路指導室を出た。
昇降口で上靴を履き替えていると制服のポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話が震えた。
校舎内では常にマナーモードにしている。
カバンを小脇に抱えて携帯電話を取り出すと、ディスプレイがメールの着信を知らせていた。
この一ヶ月で基本的な使い方をマスターした高耶はポチポチとボタンを押して新着メールをチェック。
送信者は宇都宮にいる直江からだった。
タイトルは「期末試験、お疲れ様でした」となっており、内容はテスト終了後の高耶を労わる言葉から始まり会えなくて寂しいとの少々愚痴交じりのものだ。
五月の連休に妹の美弥と一緒に直江の自宅を訪れてから二ヶ月弱。
直江に会ったのはその間たったの二回である。
しかも仕事帰りに少し立ち寄った程度でろくろく話もできなかった。
毎日メールをしているとはいえ、やはり実際に会って触れたいと思うのだろう。

(そろそろ・・・あいつも我慢の限界ってトコかな)

限界なのは高耶も同じである。
会いに行きたい。
切実にそう思う。
昇降口を出て校門に向かって歩きながら高耶は返信ボタンを押してメールの返事を書き始めた。
テストの結果は今までの中でも最高だったこと。
夏期講習を申し込んだ予備校は直江の東京のマンションに近いこと。
できたら八月の一日から始まる十日間の集中講義の間、そのマンションに泊まらせて欲しい等々。
全角250文字という制限の中に詰め込んで送信する。
送信完了の画面を確認して高耶は携帯電話をたたんだ。
一分と経たないうちに携帯が震えだす。

「もしもし?」
『お久しぶりです、高耶さん』
「久しぶりだけど・・・おまえ、今、仕事中じゃねえの?」
『仕事中ですよ。外回りの移動中なんです』
「運転しながら携帯使ってんじゃねーぞ。事故る。切るぞ」
『信号待ちの途中なんです。23日は高耶さん、お時間ありますか?』
「23日?う〜、多分大丈夫。バイトのシフト変更できるから」
『では、わたしに一日付き合っていただけませんか?当日松本まで迎えに行きますから』
「オレはかまわねーけど、23日っつったら平日じゃん。おまえ、仕事じゃないの?」
『こういうときの有給休暇ですよ。先月から有給休暇届提出してありますから、絶対に休ませていただきます』
「いいけど・・・あんま無理すんなよ?」
『あなたに会うための無理だったらいくらでもしたいんですけどね』
「そーゆーコト言うと、ぜってーに会わねぇ。無理して身体壊してまで会いに来てもらいたくない」

わかったか、と念を押すように言う。
電話の向こうで直江が苦笑いしているのがわかる。

『わかってます。あなたに心配はかけたくありませんしね。詳しい時間はまた連絡します。それじゃあ』
「ん、またな。真面目に仕事しろよ」
『愛してますよ、高耶さん』
「・・・オレも」

電話を切ってから高耶は小さな息を吐く。
これまで幾度となく直江から「愛してます」と言われているのだが慣れない。

「ま、いいか」

あと少しで久しぶりに直江と会うことができる。
嬉しさに緩む頬を必死で引き締めながら高耶は自宅への道のりを軽やかな足取りで歩いていった。










高耶の誕生日まであと三日に迫った7月20日。
昨日一学期の終業式を終えた姪っ子のあきらは今日から夏休みということで父親が経営する不動産会社で小遣い稼ぎのアルバイトをしていた。
普段はかけていない眼鏡をかけて直江はパソコンのディスプレイを睨みつけている。
今日明日で仕事を終わらせて、22日の夜には松本へ向けて出発したいところなのだ。
久しぶりに高耶とゆっくりと逢瀬できると思うとキーボードを叩く指も軽くなるというもの。
いつもの倍の速度で必要書類を作成。
一息ついたところでタイミングよくあきらがデスクにコーヒーカップを置いた。

「すまんな、ありがとう」
「義明兄ちゃん、顔に締まりなさすぎ。もうすぐ美弥ちゃんのお兄ちゃんに会えるからって、そこまでニヤニヤしなくってもいいと思うけど?久しぶりに会うのにそんなに締まりのない顔してると嫌われちゃうよ」
「誰の顔に締まりがないって?」
「義明兄ちゃんのその顔っ!そんなでれーっとした顔みたら百年の恋も冷めるわね」
「まったく。最近おまえ、可愛げがないぞ。兄さんそっくりの口調になって・・・」
「だって親子だもん。だいったい、姪っ子にそんなこと言われる叔父ってのも情けないわよね〜」

減らず口をきくあきらに直江はやれやれと肩を竦めてコーヒーをすする。
インスタントではなく、ちゃんとコーヒー豆を挽いてたてたものだ。
直江はあきらの淹れるコーヒーが一番気に入っていた。
わざわざ金を払って喫茶店で飲むよりも美味いのである。

「美味しい?」
「ああ。相変わらずコーヒーを淹れるのだけは上手いな」
「コーヒーを淹れるのだけってのは余計だよ。ちゃんとお母さんのお手伝いしてお料理だって上達したもんね」
「胃薬持参でご相伴に預かるよ」
「ひっどぉい。いいもん。義明兄ちゃんが餓死しそうになったって絶対にご飯食べさせてなんかあげないもんねーだっ!!」

いーだと白い歯を見せる。
直江が笑うと口を尖らせていたあきらも笑顔になった。

「悪かった。楽しみにしてるから、今度何か作ってくれるとありがたい」
「オッケーオッケー。何が食べたい?練習しとくから」
「なんでもいいよ。おまえの作れそうなものだったら」
「・・・信用してないんだ。いいもん。そのうち『ぎゃふん』って言わせてやるもんね」

今どき『ぎゃふん』などとは間違っても言わないだろう。
飲み終わったコーヒーカップをあきらが給湯室に運んでいく。
直江は再びパソコンのディスプレイと睨めっこする。
ドアを開けて誰かが事務所に入ってきた気配。
事務の女性が「ご苦労様です」と声をかける。
直江が顔をあげると兄の照弘が事務所の奥にある自分の仕事机に歩いていくところだった。
椅子に座ると直江を見てにっこりと笑う。
一瞬嫌な予感が脳裏をよぎる。
照弘がああいう笑い方をするときは何かを企んでいるときなのだ。

「義明、ちょっと」

笑顔のままで手招きをされる。
できることなら近づきたくない。
だがここでは兄と弟である以前に「社長と社員」なのだ。
いくら直江でも仕事とプライベートの境界はしっかりとケジメをつけている。

「何か御用ですか」

お決まりの文句を口にする。

「用があるから呼んだに決まってるじゃないか」

相変わらずにこにこと笑っている。
内心のドキドキを顔には出さず、直江は照弘の言葉を待つ。
給湯室から出たあきらが事務所に戻ってきた。
照弘はあきらにも手招きをする。

「なあに、お父さん」
「長谷部のおばさんを覚えてるかい?」
「うん。ここ何年か会ってないけど、覚えてるよ。あたしのことすっごく可愛がってくれたおばさんだよね」
「そうそう。あきらは父さんに似て記憶力がいいね。さすがは父さんの娘だ」

親ばかは就労時間外にやってくれ。
そう思ったが口には出さない。
子煩悩な照弘はふたりの子供をことのほか可愛がっている。
特に娘のあきらへの溺愛ぶりは素晴らしいものがある。

「んで、長谷部のおばさんがどうしたの?」
「ああ、本題はここからなんだけどね。長谷部さんの旦那さんがm県のt市にリゾートホテルをオープンするんだ。正式なオープンは8月1日からなんだが、7月の23日に親しい知人ばかりで小さなパーティーを催すそうだ。父さんも招待されてるんだが、仕事が忙しくてな。それで代わりにあきらに出席してもらいたいと思ったんだが・・・ダメかな?」
「別にいいけど。あたしも長谷部のおばさんに会いたいし。で、そのホテルまでどうやって行けばいいの?」
「そこなんだよ、問題は。いくらあきらがしっかりしているからって、m県までは遠いだろう。一人で行かせるのも心配だしね。そこでだ。義明にあきらと一緒に長谷部さんのパーティーに行ってもらいたいんだが」

冗談じゃない。
直江は慌てて首を振った。
だいたい先月から7月23日と24日の二日間は有給休暇届を提出してあるのだ。
それは照弘だって承知のこと。
何を今更そんなことを言ってくれるのだ。

「お断りします。だいたい、先月から23日と24日は連休させていただきますと届け出しましたよね。兄さんだって受理してくれたはずですよ。そうでなくても休みなしで働いてたんですから、たまには休ませてくれたってバチはあたらないと思います。有給扱いじゃなくてもいいですから、その日だけは絶対に休ませていただきますっ!!」

一気に言い切った。
だが照弘も負けてはいない。

「じゃあ、社長命令。あきらのお供で長谷部さんのパーティーに行きなさい。8月になったら十日でも二十日でも連休させてやるからな」
「今月じゃないと意味がないんですっ!!」
「理由は?」
「ちゃんと書いてあったでしょう」
「一身上の都合じゃ理由にならないな。何のために休むのか、わたしが納得できたら休ませてやろうじゃないか」
「く・・・」

高耶さんの誕生日をお祝いしたいから会社休みます。
そんな理由を照弘が受け入れるわけがない。
何かいい言い訳をと考えていると照弘が先手を打ってきた。

「ゴールデンウィークに遊びに来てた仰木・・・高耶くんだったっけ?彼、夏生まれだって言ってたな。そういえば七月じゃなかったか?夏休み入ってすぐだって言ってたし。・・・まさかとは思うが、彼の誕生日を祝うために会社を休もうって言うんじゃないだろうな?」

思いっきり図星。
しかしここで負けるわけにはいかない。
頑張れ、直江信綱。
高耶さんとのラブラブバースディを勝ち取るのだっ!!
だが直江の勢いも照弘には通じなかった。

「おまえのことだからもう仰木くんと約束してるんだろうな。昔から用意だけは周到だったもんな、義明は。かくなる上は兄さんが直接仰木くんに話をして断ってあげるから、おまえはあきらと一緒に長谷部さんのパーティーに行きなさい」
「冗談じゃありませんよっ!だいたい、兄さんはそうやって人の都合を無視して話を進めるんですから。わたしの意見だって聞いてくれてもいいじゃありませんか!」
「事務所の中では『社長』と呼びなさい。とにかく決定。おまえに拒否権はないからな。7月の給料にはちゃんと出張手当を弾んでおいてやるから文句を言わない。長谷部さんはわたしにとって大切な友人なんだから粗相のないように」
「ちょっと兄さんっ!!」
「自分の仕事に責任を持てないような男はいけないな。きっと仰木くんだってそういうに決まってる」
「勝手に決め付けないでくださいっ!」
「仰木くんは曲がったことが嫌いそうな性格だから、義明が自分の誕生日を口実に仕事をサボろうなんて考えてることを知ったらショックを受けるだろうね。もしかしたら別れ話まで切り出されてしまうかもしれない」
「不吉なことを言わないでください!」

と考えて直江は考え込む。
確かに高耶の性格上、抜けられない仕事が入ったといえばそちらを優先しろと言うに決まっている。
もう少し我儘を言ってくれてもいいのに。
聞き分けがよすぎるというのも少し寂しい。

「おまえが決められないんだったら仰木くんに決めてもらおう」

照弘はいつの間に知ったのか高耶の自宅の電話番号をピポパと押した。
三度目のコールで「はい、仰木です」という高耶の声が聞こえた。

「もしもし、仰木くん?義明の兄の照弘だけど、覚えててくれたかい?こちらこそ義明が世話になって申し訳ないね。また機会があったらゆっくり遊びにおいで。もちろん美弥ちゃんも一緒にね。あきらも喜ぶから。ああ、用件なんだけどね・・・今度の23日は義明と会う約束をしてたかい?ああ、やっぱり。こんなことを言うのはとても心苦しいんだがその日はわたしにどうしても抜けられない仕事が入ってね。知人のパーティーにもどうしても出席しなければいけないんだが、そちらには行けそうもないんだ。それで義明に私の代わりに出席してもらおうと思うんだが・・・やはり君との約束のほうが先なわけだし。うんうん、そうだよね。無理を言うつもりはなかったんだ。先方には書面でお詫びをしておくから。今の話は忘れてくれないか。じゃあ、義明に代わるよ。すまなかったね、無理を言ってしまって」

ほれ、義明。
照弘はそう言って受話器を直江に手渡した。
奪い取るようにして受話器を耳に押し当てる。

「高耶さん!!」

徐々に直江の表情が曇っていく。
受け答えの声も段々と小さくなっていき・・・受話器を戻した時にはすでに憔悴していた。
盛大に溜め息をつき恨みがましい目で照弘を見上げる。

「仰木くん、何だって?」
「・・・。長谷部さんのパーティー、あきらのお供で出席させていただきます」
「最初から素直にそう言えばいいんだ」

にっこりと笑う照弘。

「兄さんの人でなし・・・」

小さく毒づく直江。

「ん?何か言ったか、義明?」
「何でもありませんっ」

叫んで直江は照弘に背中を向けて歩き出した。

「ドコへ行くんだ、義明」
「お手洗いですっ!!」

バタンッと乱暴に閉められた扉に直江の怒りが込められていた。
照弘・あきら父子は肩を竦めて顔を見合わせ。

「ちょっと気の毒だったかなあ?」
「あきらが気にする必要はないさ」
「だよね〜。さってと、美弥ちゃんにメールしてこよっ」

携帯電話を片手にあきらも事務所を出ていった。
まさに「飛び跳ねる」といった形容がぴったりのあきらの足取り。
一方「お手洗い」とその場を逃げ出した直江はトイレの前でしゃがみ込む。
とってもとっても楽しみにしていたのに。

「ちくしょう・・・兄さんのバカ・・・」









長野県松本市仰木宅。
居間にて直江の兄である橘照弘からの電話を受けた高耶は受話器を置いて「はぁ」と息を吐いた。
カレンダーを見て再度溜め息。
指折り・・・とまではいかないが、直江に会えるのを楽しみにしていた高耶である。
それでも高耶のために仕事を休ませるわけにはいかない。
口では平気な振りをしていたがやっぱり落胆の色は隠せなかった。
もう一度大きく息を吐いて高耶は居間を出て自分の部屋に向かう。
机に向かって参考書を開いてはみるがやる気が全然起きない。
目は参考書に書かれた文字を追っているのだが内容がまったく頭に入ってこなかった。

「あー・・・ダメだ、今日は」

こんな些細なことでぐらつくなんて我ながら情けないと思う。

「お兄ちゃん。入ってもいい?」
「おー、いいぞ」

背中まで伸びた長い髪の毛をお団子状に結った美弥が高耶の部屋に入ってきた。

「あのね、やっぱり23日、お兄ちゃん忙しい?」
「23日かぁ」

本当はヒマになったけど。
すぐに口に出すのもなんとなく嫌だったのでしばらく考えるふりをする。

「美弥もねぇ、友達誘ってみたんだけど誰もヒマじゃなかったんだ。せっかくあきらちゃんが誘ってくれたんだし、美弥も絶対に行きたいんだけど・・・お兄ちゃん、無理だよね?直江さんと約束あるんだもんね」

数日前、直江の姪であるあきらからリゾートホテルの宿泊券が送られてきたのだ。
あきらの父親、つまりは直江の兄である照弘の知人が新しくホテルをオープンすることになり、正式なオープン前に親しい人をパーティーに招待してくれたのだという。
そのパーティーに美弥も招待されたのである。
プライベートビーチ付きのリゾートホテル。
受験前の最後の息抜きにと高耶を誘ってくれたのだが直江との約束があったため断っていたのだ。
ギリギリまで美弥も友達をあったってみたのだが、誰も一緒に行ってくれる人がみつからない。
最後の神頼みとばかりにもう一度高耶に一緒に行ってくれるように頼みに来たのである。

「いいぞ、別に」
「へ?」
「一緒に行ってもいいぞ、って言ったの。あいつ急な仕事が入ったみたいだしバイトも休みとってあるし。おまえ一人で行かせるのも心配だしな」
「本当に本当にいいの?」

ぱぁっと目を輝かせる美弥。
なんだかんだ言っても妹のこんな顔を見るのは嬉しいものである。
これから受験一色でますますかまってやれなくなるし、高校を卒業したら大学の合否に拘らず上京するつもりでいた。
たまには妹のお願いを聞いてやってもバチはあたらないだろう。

「わ〜い、お兄ちゃん大好きっ!!」

無邪気に抱きついてくる妹に困ったのは高耶のほうだった。
まだまだ子供だと思っていたが確実に成長している。
とはいえ、まだまだ無邪気な子供のままでいて欲しいと思ってしまう複雑な兄心の高耶。

「嬉しいな〜。何着て行こうかな。そうだ、お兄ちゃんが着ていく服も美弥が選んであげるね」
「いいよ、自分でやっから」
「いいから、いいから。あ、これとこれの組み合わせなんてカッコいいかも」

高耶が止めるのも聞かず、たんすからあれこれと上着やズボンを取り出しては組み合わせてみる。
あまりのはしゃぎっぷりをどうすることもできず、高耶は唖然として美弥の服選びを見守っていた。
父親の承諾を得て、高耶と美弥がプライベートビーチ付きのリゾートホテルに向かったのは三日後の高耶の誕生日の早朝。
美弥とあきら、そして間接的にではあるが直江の兄・照弘が仕組んだトラップに高耶はまだ気付かない。










高耶の誕生日前日の午後。
あきらを乗せた直江のウィンダムは宇都宮の橘邸を出発した。
直江の顔は二日経った今でも暗い。
長谷部さんと顔を合わせたときには意地でも笑顔を作れ、と照弘から言われている。

「義明兄ちゃん、ラジオかけてもいい?」
「好きにしなさい」

もはや何も言う気が起こらない。
あきらは重苦しい空気が立ち込める車内でラジオのスイッチを入れた。
スピーカーから聞こえてきたのはなかなか渋めの低音。
思わずラジオのスイッチを切ってしまう。
憔悴しきった直江にぴったりのこの曲。

(何だって、いきなり『昭和枯れすすき』が流れるのよぅっ!)

タイムリーすぎて余計に空気が重くなってしまう。
やっぱり持参してきたmdを聞こう。
あきらはバッグをあさって目当てのmdを取り出す。
人気女性歌手の優しい歌声が流れ出し、車内の空気も少しは緩和されたようだ。
こうしてあきらと直江は一路m県に向けて車を走らせたのである。
途中のサービスエリアで夕食を食べ、目的のホテルに到着したのは午後十時を過ぎた頃だった。
夜遅くの来訪に長谷部夫人は嫌な顔ひとつせず彼らを迎えてくれた。

「いらっしゃい、あきらちゃん。遠いところから、大変だったでしょう?」
「こんばんわ。お久しぶりです。お招きありがとうございました」
「あらあら。ずいぶんとしっかりしたお嬢さんに成長したこと。照弘さんもさぞかし喜んでいるでしょうね」
「お父さんも長谷部さんにお会いできないって残念がってました」
「いいわ。また近いうちに宇都宮にお会いしに行きますから。あきらちゃん、こちらの方は?」

長谷部夫人が直江を見てあきらに問う。

「わたしの叔父です」
「橘義明です。本日は兄の代わりにお邪魔させていただきました。よろしくお願いします」

丁寧に頭を下げる直江に長谷部夫人は「あらあら」と笑った。

「照弘さんによく似てるのね。いい男だわ。目の保養になるわね」

年齢を感じさせない綺麗な笑みを浮かべて長谷部夫人は直江とあきらを促した。
ホテルの制服に身を包んだ年若い青年がスッと近づいてきて荷物を持ち上げる。
三人を先導するように歩き、エレベーターのボタンを押す。
直江たちが案内されたのは十二階のツインルーム。
大きなガラス窓の向こうにはライトアップされた砂浜が広がっている。

「わあ、すっごーい」
「ゆっくり寛いでね。わたしは明日の打ち合わせがあるから今日のところはこれで失礼するわ。朝食はフロントへコールしてくださればこちらへ運びますわ。何か足りないものがあったら遠慮なく仰ってね」

軽く会釈をして長谷部夫人は部屋を出て行った。
その後をあきらが追いかける。

「おば様、ほんとに無理言っちゃってごめんなさい」
「可愛いあきらちゃんの頼みですもの。嫌だなんて言えるわけないじゃない」
「感謝してます」
「だけど本当にいい男ね。うちの従業員にスカウトしたいくらいよ」
「あはは。うちじゃお父さんにこき使われてるから、誘ったらokしてくれるかもしれませんよ〜」
「そうね。ダメでもともと・・・本当に誘っちゃおうかしら」

悪戯っぽく笑みを浮かべて長谷部夫人はエレベータで階下へ降りていった。
あきらもひとつ大きく伸びをして部屋の中に戻る。
窓際に据えられたソファに腰を下ろして直江は眼下に広がるイルミネーションを眺める。
深々とため息。
これが姪っ子と一緒ではなく高耶とだったら・・・本当に感動しながら見られるのに。
諦め悪くそんなことを考えていたらあきらが呆れた口調で、

「どーせ『あきらとじゃなく高耶さんとこの景色を見られたら』な〜んて思ってたんでしょ。悪かったわね、あたしが相手で」
「誰もそんなこと言ってないだろう」
「言ってなくても顔全体に書いてあります〜。ほんとに義明兄ちゃんって顔に出易いわよね。考えてることバレバレだよ」
「・・・」

何を言ってもこの姪っ子に敵うわけがない。

「疲れたから寝ちゃおう。あ、先にシャワー使ってもいい?」
「どうぞ、お好きに」

あきらがバスルームに消えるのを見届けてから直江は携帯を手にメールを打ち始めた。
返事が返ってくることは期待していなかったが。

「・・・会いたかったな、高耶さん」

この後に及んでもまだ泣き言を言う直江を満天の星が見下ろしていた。










「お兄ちゃん、早くっ!電車出発しちゃうよ〜!!」
「おまえが寝坊するから悪いんだろ!切符、ちゃんと持ってきたか?」
「それはok!きゃあ〜、あと三分っ!」

駅の階段を駆け上がりながら美弥がバッグから切符を取り出す。
美弥と高耶の二人分の旅行バッグを抱えて高耶も階段を跳ねるように登っていく。
改札をくぐってホームで待機していた電車に乗り込みシートに座ってホッと一息。

「間に合ってよかったぁ〜」
「早く起きなきゃダメだってわかってんのに夜更かししてるから寝坊すんだぞ」
「お兄ちゃんだってギリギリまで寝てたくせに。美弥に起こしてもらえるからって油断してたお兄ちゃんだって悪いんじゃん」
「あー言えばこう言う」
「そういうお年頃なの。あ、あきらちゃんからメール入ってる」

すっかり高耶のことは無視して携帯メールのやり取りに夢中になってしまう美弥。
送信したかと思えば数秒後には返事が返ってくる。
こいつらの指の動きはどうなってんだと常々思っている高耶であった。
昨夜は充電したまま寝てしまったので、慌てて掴んできた携帯電話。
「メールが届いてます」の表示にボタンを押してチェックする。
昨日の夜に受信した直江からのメールだった。
『あなたの誕生日を一緒に過ごしたかった』云々の泣き言メール。
相変わらずのアニバーサリー男だと苦笑いしながらも、高耶はメールに対する返事を打ち始める。
誕生日は今年だけじゃなくて来年も再来年もあるんだからという内容のメールを送信してから俄かに頬が熱くなった。
その言葉は深読みすれば来年も再来年もずっと一緒にいて欲しいと言っているわけで・・・。

(うっわ、すっげぇ恥ずかしいかも)

一人で動揺している高耶をよそに、電車は着実に目的地へ向かって線路をひた走る。
やがて爆睡してしまった高耶が美弥に起こされたとき、電車は緩やかに降車駅のホームに滑り込んだのであった。
改札を出ると美弥がキョロキョロと辺りを見回す。
ホテルから迎えの人が来ているはずなのだ。
改札の近くで同じように人を探している風の若い男がいる。
美弥と目が合うとホッとした表情をした。
小走りに駆け寄ってきて彼らに向かって頭を下げた。

「仰木美弥様ですね?お迎えに参りました、高畑と申します」
「仰木美弥です。よろしくお願いしまーす」
「仰木高耶です」

高畑に促されて高耶と美弥は駅の駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。

「ここからホテルまでは約十五分ほどで到着します。着いたらご昼食の準備をいたしますね。オーナー共々歓迎いたします」

昼食という単語に現金なお腹はすぐに空腹を訴える。
きゅるきゅると鳴り出したお腹をさすりながら高耶と顔を見合わせた。
バックミラー越しにそんな仰木兄妹の姿を見ながら高畑は笑みを浮かべた。
なるほど、あきらの言っていたとおり仲のよい兄妹だ。
彼女たちの秘密の計画を知っている高畑は笑いをかみ殺すのに必死だった。





高畑の言ったとおり駅からぴったり十五分で車はホテルのエントランスに横付けにされた。
真新しい白い壁のホテルはまさにリゾートホテルと呼ぶに相応しいものである。
思わず最上階を見上げてぽかんと口を開けてしまった高耶。
たかだか知人の娘の友達を簡単に招待できるようなホテルではない。
一体全体どういう知り合いなんだよと心の中で叫んでいるとトランクから荷物を取り出した高畑に声をかけられる。

「仰木さま、お部屋にご案内いたします。こちらへどうぞ」

高畑の先導でエレベータに乗り込む。
迷わずに最上階のボタンを押し扉を閉めた。
静かにエレベータが上昇していくときの不思議な感覚。
あまり乗り慣れていないせいか妙に居心地が悪い。
最上階に到着したエレベータのドアが開いた瞬間にこれまたびっくりする。
いかにも高級そうな絨毯が敷き詰められた廊下。
奥行きの割にドアの数が少なく、一部屋あたりの広さが普通の部屋とは格段に違うことが想像された。
何かの間違いじゃないのか?
だが案内役の高畑はすたすたと迷わずに進んでいく。
触ると壊れそうな瀟洒なつくりの台に乗せられたガラス製の花瓶。
値段の高そうな絵画。

「おい、美弥。本当にこのホテルでいいのか?」
「いいんだよ。ホテルの名前、あきらちゃんに教えてもらったのと一緒だもん」
「こんな高そうなホテルだなんて聞いてないぞ」
「あたしだって聞いてないよぅ。でもすごいホテルだね〜。こんなトコ、一生のうちに何度も泊まれないよ」

得した気分だよね、と無邪気に笑う妹に高耶は苦笑いを禁じえない。
悲しいかな庶民のサガ。
普通に泊まったら一泊いくらぐらいするんだろうと本気で考えてしまう。

「こちらのお部屋でございます。すぐにご昼食を運んでまいりますので、それまでごゆっくりお寛ぎくださいませ。後ほど、オーナーがご挨拶に伺いますので」

部屋の中に高耶たちのバッグを置くと丁寧に一礼をして高畑が下がる。
一歩室内に入ってまたもやびっくり。
クラッシックな雰囲気にまとめられた室内。
一部屋だけで高耶たちが暮らしている団地全部屋と同じくらいの広さがありそうだ。
テーブルにソファ。
大型画面のテレビにミニキッチンまで備え付けられている。
大き目の窓の外にはベランダがあり、そこからはこのホテルのプライベートビーチと青い海原が見える。
隣の部屋にはセミダブルのベッドが二つ。
こちらにもテレビと小さなテーブルにソファが置かれていた。
入り口を入って右奥にバスルームとトイレ。
バスルームは高耶の部屋よりも広い。
部屋に戻った高耶は落ち着かない様子でソファに腰を下ろす。
ついキョロキョロしてしまう。
かなり挙動不審だ。

「お兄ちゃん、少し落ち着きなよ」
「おまえ、よくこんな部屋で落ち着いてられるよな・・・」

美弥と向かい合わせに座り、高畑が昼食を運んできてくれるのを待つ。
女性シンガーのニューシングルの着メロが流れ出す。
美弥の携帯にメールが着信されたのだ。
すぐにぷちぷちと返事を返す。
相変わらず素早い指運びだ。
感心しながら美弥の手元を眺めているとソファから立ち上がって、

「ごめんね、お兄ちゃん。美弥、ちょっと出かけてくるから〜」

と軽やかな足取りで部屋を出て行ってしまう。
ちょっと待て、と追いかけようとした高耶だったが、いつ高畑が昼食を運んできてくれるかわからないため部屋を空けるわけにはいかない。
一人になってさらに落ち着かない気分になり、高耶はベランダに出て眼下に広がる海を眺めた。
空の青さと海の青さが目に眩しい。
キラキラと光を反射させる波間。
ビーチでは数人が海水浴を楽しんでいる。
まだ正式なオープン前だと言っていたから招待客の一部なのだろう。
ベランダから真下を見下ろすと南国風の植物が植えられた庭。
さぞかし手入れが大変だろうなと思っていると背後に人の気配がした。
高畑が戻ってきたのだろう。
ベランダから乗り出していた身を起こし高耶が振り返る。

「なっ!?」

二の句が繋げない。
高耶の目の前に立っているのは照弘の代わりに急な仕事に出かけていったはずの直江だったのだ。
直江もまさか高耶がここにいるとは知らず、突然のことに言葉が出てこない。

「おまえ・・・なんでここに・・・」
「高耶さんこそ。どうしてここにいるんですか?」

互いの頭の中には疑問符が掃いて捨てるほど飛び交っている。

「どうしてって・・・オレは美弥に・・・」

付き合って来たんだと言おうとしたところでバッターンと景気よくドアが開かれて美弥とあきらが部屋の中に飛び込んできた。

「お兄ちゃん、お誕生日おめでと〜」
「おめでと〜、美弥ちゃんのお兄さんっ!!」

パンパンパンとゴミが出ないタイプの便利なクラッカーが鳴らされる。
いまいち、というか思い切り事態が飲み込めない。
しばらくの間茫然としていた高耶だったが、徐々にこの旅行が何のために計画されたのか理解することができてきた。
つまりは・・・ゴールデンウィーク同様にまんまと美弥たちに騙されたと言うわけだ。

「・・・」

最初に気づくべきだった。
このホテルへの招待にあきらが関係していたことに。
脱力して高耶はその場にしゃがみこんだ。
そして直江は・・・高耶に会えた喜びに心の底から笑顔を浮かべていたのであった。





「お兄ちゃん、機嫌直してよぉ」

その数分後に昼食を運んできた高畑と、ホテルのオーナー夫人である長谷部が部屋にやってきた。
軽い挨拶を済ませてから四人で昼食と相成った。
始終笑顔の直江とは反対に高耶は眉間に縦皺を寄せたまま。
直江に会えたことは嬉しいが、またもや妹の策略にはまってしまった自分が情けないやら悔しいやら。
もともと素直じゃない性格の高耶なので、なかなかしかめっ面を元に戻せずにいたのである。

「そうですよ、高耶さん。せっかくの誕生日なんですから。そんな顔をしていたら美味しい料理も台無しですよ」

フォローを入れる直江を横目で睨む。

「おまえもこいつらの片棒担いでたんじゃないだろうな」
「まさか。こんな計画知ってたら、あんなに落胆しませんでしたよ」

確かに、あの落胆は演技ではなかった。
八つ当たりのようにフライにフォークを突き立てる。

「嘘ついてたのは謝るからぁ。怒らないでね、お兄ちゃん」
「そうですよ〜。松本じゃ義明兄ちゃんとゆっくり会えないだろうからって、美弥ちゃんと色々考えてたんですから。ここならお父さんの邪魔も入らないし。ね、美弥ちゃん?」
「うん、そうそう。敵を欺くにはまず味方からって言葉もあるしぃ。お兄ちゃん、嘘つけない性格だから、最後まで黙ってたほうがお父さんも疑わないだろうな〜って思って・・・」

あはははは、と乾いた声で笑う。
はぁ、と盛大に息を吐いて高耶はグラスのお茶を飲み干した。

「怒ってねえよ、もう。だけどな、二度と兄ちゃんを騙すようなマネはすんなよ。今度やったら本気で怒るからな?」
「は〜い。もう二度としません」

ほんとかよ、と疑いたくなるほど元気のよい返事。
結局はまたこのパターン。
つくづくオレは美弥に甘いよな、と今更ながらに自覚する。
ため息をつきつつ食事を続行する高耶を直江は優しく見つめていた。





「ね、みんなで海行って泳いでこよ」

昼食を食べ終えて休んでいると、あきらと美弥がそう提案した。
今日はいい天気だし海で遊ぶにはもってこいだ。

「オレ、水着なんて持ってきてねーぞ」
「あ、それなら大丈夫。美弥がちゃあんと持ってきました♪」

どこから掘り出してきたのか美弥が高耶の水着をバッグから取り出す。

「準備いいな、おまえ」
「だってプライベートビーチだよ?泳がなくっちゃだもん」

しっかりとした娘に育ってくれて兄ちゃんは嬉しいよ。
美弥から水着を受け取って高耶は直江を見上げた。
直江は少し困ったような表情を浮かべている。

「わたしは遠慮させていただきます。三人で楽しんできてください」
「どーしてだよ」
「わたしも水着の準備をしてきてませんし・・・」
「それなら心配なしっ!ちゃ〜んとあたしが持ってきました」

へ?と直江が首を傾げる。
考えれば中学校でプールの授業とさよならしてから水着など買った覚えがない。
あきらはそれはそれは嬉しそうに持っていたカバンから直江用の水着を取り出した。

「じゃ〜ん。お父さんが大学時代に使ってた水着(競泳用・紫のラメ入り)で〜す。義明兄ちゃんなら、まだビールっ腹になってないからきっと似合うと思うよ」

ビキニタイプの競泳用水着。
思わず直江が着用したときの姿を想像して吹き出しそうになった高耶。

「ぶっ・・・」

口元を手で押さえて笑いをこらえる。

「だ、誰が穿くか、そんなもんっ!!!」





すったもんだの末、水着に着替えた美弥とあきらだけがビーチに遊びに出て行った。
ビーチに面したテラスでアイスコーヒーを飲みながらそれを見守っている高耶と直江。
スーツは暑苦しいという理由からホテル内にあるショップでカジュアルな服を買わされてしまった直江である。
普段は見慣れない服のせいか、落ち着かない直江が笑える。

「何が可笑しいんですか?」
「別に?なんだかんだ言っても、おまえって結構姪っ子に甘いのな」
「そういうあなたも、かなり妹さんには甘いですよ」
「お互い様ってわけだな。しっかし女の子って不思議なもんだよな」
「何がです?」
「水着なんてさ、ほとんど下着みたいなもんじゃん。水着はキワドイの着たって平気な顔してんのに、パンツが見えりゃ怒るし痴漢だの変態だのやかましいし」
「そんなことを言われたんですか」
「オレだって見たくて見たわけじゃないぞ!」

高校生活最後の夏服に衣替えが終わった数日後。
いつものように学校近くのガソリンスタンドの裏手にある駐輪場にバイクを停めて校門をくぐった高耶だった。
先を歩く譲を呼び止めて並んで昇降口に向かって歩いていたところに悲劇が起こったのである。
高耶の隣にいる譲を目敏く見つけた紗織が実にわざとらしく「おはよー、仰木くん」などと声をかけてくるものだから無視もできず立ち止まった。
「な、な、成田くんもおはよう」
高耶に声をかけるときとは180度別人のしおらしい声。
あほくさ、とそっぽを向いてしまう高耶。
これだけあからさまなのに譲は紗織の気持ちにまったく気付いていない。
こいつってやっぱ天然だよな〜と思っていたところに突然の突風。
目の前でスカートの裾が翻る。
朝イチで譲に会えた嬉しさからか舞い上がっていた紗織の反応が遅れた。
突風は遠慮なく紗織のスカートを巻き込んで吹き上げ・・・。

「森野にゃ、痴漢変態呼ばわりされるわ引っ叩かれるわ・・・」
「不可抗力といっても、女性には通用しませんしね」

気の毒そうに直江が言う。
確かに見て得したというよりはいたたまれない気分になるほうが格段に大きい。
だいたい、同じ場所で同じように見ていただろう譲に何の被害も無いのが変なのだ。

「女ってわかんねーなぁ」
「女性は何歳になっても不思議なものですよ」

顔を見合わせて笑う。
オレンジ系のセパレーツの水着を着た美弥と赤のチェックの水着のあきらがビーチから走ってくる。

「ねえねえ、お兄ちゃん。あの岬の先端に灯台あるでしょ?あの白いの、見える?」

美弥の指差す方向に目をやる。
ぐるりと半円を描くビーチの端に美弥の言っている灯台が見えた。

「見えるけど、それがどーしたんだ?」
「さっきね、あきらちゃんに聞いたんだけど、あの灯台でキスするとね、生まれ変わってもずっと幸せな恋人同士でいられるんだって」
「ふーん、それで?」
「直江さん、誘って行ってみたら?」
「んなトコ行ってどーすんだよ」
「キスしてくるに決まってるじゃん。ずっと幸せな恋人同士でいられるんだよ?すっごくロマンチックじゃない〜。きっとお父さんも賛成してくれるようになるよ」
「あのなぁ・・・」

そんな言い伝えを信じるほど乙女チックではない。
女の子ならではの発送に高耶は頭を抱えたくなった。

「美弥はお兄ちゃんと直江さんの幸せを考えてあげてるのに」

ぷん、とむくれる美弥。
再三言っているが、気持ちだけで十分。
美弥が絡むと余計に話がややこしくなる。
頭ごなしに反対されても困るが、ここまでおおっぴらに協力されるのも複雑。

「わかった、わかった。感謝してます、おまえには」
「お兄ちゃんの意地悪。いいもんっ!行こ、あきらちゃん」

直江と話しているあきらの腕を引いて、美弥はスタスタとビーチに戻っていく。
生まれてこの方「占い」「おまじない」の類を信用したことのない高耶。
そんなものは本人の努力と根性で何とかなるもんだろう。
いくらそういった伝説の残る灯台でキスしたとしても、必ずしも幸せな恋人同士でいられるとは限らない。

「気持ちは嬉しいんだけどな」
「どうかしましたか?」
「んにゃ、こっちの話。何か眠くなってきた。部屋戻って寝よっかな」
「ではお部屋でお昼寝でもしましょうか、一緒に」

にっこりと笑う直江。

「どうして・・・おまえが言うと、いつもエロっぽく聞こえるんだろうな」
「高耶さんも少しは期待してくださってるからじゃないですか?」
「冗談は顔だけにしとけ、エロオヤジっ!こんな真昼間から手ぇ出しやがったら殴るだけじゃ済まさねーからな」
「真夜中だったら手を出してもいいと言うことですか?」
「そういう意味じゃねえっ!何でも自分に都合のいいように解釈すんなっ!!美弥とおまえの姪っ子が一緒のときにそーゆーことしたら即行で帰るぞ。よっくその頭ン中に叩き込んどけっ!!」
「わかりましたよ。でも寂しいですね」
「何が?」
「わたしは思いがけず高耶さんに会うことができて嬉しくて堪らないのに高耶さんはそうじゃないんですね。あなたに会いたいと思っていたのはわたしの独りよがりでしかなかったということですか」
「・・・誰もそんなコト言ってねーだろ」

まったく、すぐに拗ねる。
本当にこいつ、来年三十路に突入するのか?
付き合いを重ねるごとに直江の違った一面を発見してしまう。
それでも愛しいと思ってしまうあたり高耶もかなり変なのかもしれない。
所謂「惚れた弱み」というヤツだろうか。
エレベータに向かって歩きながらブツブツと呟く高耶。
苦笑いを浮かべて高耶の後を歩く直江。
「よしっ」と一発気合を入れて高耶は顔を上げた。

(部屋に戻ったら・・・少しくらいは甘えてやるか)









知人ばかりを集めた内輪だけのパーティーと言っても、招待客の数は三百人を超えている。
直江に聞いたところ長谷部夫妻は色んな世界で顔が広く、それだけ知り合いの数も半端じゃない。
高耶でも見たことのあるタレントや国会議員の先生。
スポーツ選手からニュースキャスターまでと本当に幅広い客層だ。

(オレたちって思いっきり場違いなんじゃねーの?)

意識せずとも壁の花になってしまう高耶であった。
美弥はあきらと一緒に長谷部夫人や他の招待客と楽しそうに話をしている。
もともと人見知りの気がある高耶には到底真似できない。
長谷部夫人の夫である長谷部氏に挨拶をしていた直江が高耶の傍へと歩いてきた。
内心ほっとする。

「疲れたでしょう?部屋に戻っていてもかまわないんですよ」
「ああ・・・でもせっかく招待してくれたんだから悪いかなって思って」
「律儀なんですね。何か食べるものでもとってきましょうか?」
「さっきバカほど食った。今腹いっぱいだからいい」
「じゃあ、わたしと一緒に失礼しましょうか。長谷部さんたちに挨拶をしてきます」

高耶のために気を遣ってくれている。
直江のさり気ない優しさにどれだけ救われているのだろう。
かっこいい俳優やたくましいスポーツ選手と並んでも決して負けていない直江。
そんな完璧を絵にかいたような男が自分の恋人なのだから不思議だ。
誰にも聞こえないように小さな声で呟く。

「おまえほど口に出してないだけで、オレだってちゃんとおまえのこと思ってるんだぞ」



挨拶を済ませた直江が高耶のところへ戻ってきた。
テラスの手すりに腕をのせて外を見ていた高耶が振り返る。

「高耶さん、顔、赤くないですか?」

先ほどとは違いぽやーっとした目の高耶。
頬がほんのりと上気して桜色に染まっている。

「そーいえば、なんかかお、あついかな」

熱でもあるのかと額に手をやってみるがそうでもない。
高耶の脇に置かれたグラスを見て納得する。
小さく息を吐いて、

「高耶さん、お酒飲みましたね?」
「さけなんてのんでないぞ〜」
「じゃあ、このグラスは何が入ってたんですか?」
「すっげうまいジュース」

思わず額に手をやってしまう。
高耶が「うまいジュース」と言っていたのはシャンパン。
口当たりのよい上等のものだ。
それをジュースと勘違いして何杯も飲んでいたらしい。
前後不覚とまではいかないがしっかりと酔っ払っている。

「あれはお酒ですよ、高耶さん。未成年のうちは飲酒はダメだと何度いったら・・・」
「もー、がみがみうるさいってば。おまえってほんと、せっきょーじじー」
「誰が説教じじぃですか。あなたはわたしのことをそんな風に思ってたんですか?」

ため息ひとつ。
直江は高耶の腕を引いてパーティールームを抜け出した。

「どこいくんだよ」
「酔い醒ましに少し歩きましょう。夜風にあたれば少しは酔いも醒めますよ」

テラスから中庭に降り、ビーチのほうに向かって歩く。
そのままビーチには行かず石畳の遊歩道を歩いた。
パーティーのざわめきが徐々に遠ざかっていくと波の音が響き始めた。

「なー、どこいくんだってば」
「そのうちわかりますよ。ほら、大丈夫ですか?」

石畳につま先を引っ掛けて転びそうになった高耶を支える。

「なんかこのみち、へんじゃねえ?あんてーわるい」
「あなたが酔っ払ってるんですよ」

危なっかしい足取りの高耶を見ていて心配になったのか、直江はひょいっと高耶を抱き上げた。
驚いて暴れる高耶の耳元に優しく囁く。

「暴れると落ちますよ。おとなしくしててください」

そう言われて高耶は素直に直江の首に腕を回した。
素面のときではこう素直に言うことをきかないだろうなと思いながら直江は岬の先端にある灯台に向かって歩いていく。
ホテルから歩くこと十五分。
直江は灯台への階段を上り据え付けてあるベンチに高耶を座らせた。
穏やかな風が海から吹き上げてくる。

「きもちいー」

ベンチから立ち上がると先ほどよりは幾分マシな足取りで手すりのところまで歩いていく。
飾りだけの灯台なので船に進路を知らせる明かりは点いていない。
だが人工の明かりなどなくてもあたりを淡い月光が照らし出している。

「高耶さん」
「なに?」
「左手を出していただけませんか?」
「左手?いったい何すんだ?」

わけもわからないまま直江の言ったとおりに左手を差し出す。
ポケットに手を入れると直江はそこから取り出したものを高耶の薬指にはめた。
突然の贈り物に高耶は目を丸くした。
左手の薬指にはシンプルな形の指輪が光っている。

「誕生日、おめでとうございます」
「へ?これ・・・」
「少し気が早いですが、あなたも結婚できる年になったことですし。わたしはこの先の人生もあなたと一緒に歩んで行きたい。あなたとずっと一緒にいたいんです。その指輪は偽りのないわたしの気持ちです。一生涯、わたしはあなた以外のひとを愛することはありません。たとえあなたがわたしから離れてしまったとしても・・・わたしの思いはあなただけのものです。指輪はあなたを縛り付ける枷になってしまうかもしれません。それが迷惑なら外してください。あなたのこれからの人生をわたしとともに歩んでくださるのなら・・・」
「ストップ」

高耶の声が直江の言葉を遮る。

「?」
「オレにも少し喋らせろ。っつーか、今ので一気に酔いが醒めちまった。最初にひとつ確認しとくけど、おまえ、絶対に後悔しないんだな?」
「後悔って、何に対してですか?」
「いいから。後悔するかしないか、ふたつにひとつだ」
「後悔なんてしません。あなたにかかわることでわたしが後悔することなんて何一つだってありません」
「忘れんなよ、その言葉」

直江を見上げて笑う。
襟元を掴んで強引に引き寄せると直江の唇を塞いだ。
一瞬、時間が止まる。
やがて唇を離すと高耶は照れたように頭をかきながら空を見上げた。

「これで『生まれ変わっても幸せな恋人』ってヤツだな」
「高耶さん・・・」
「オレの気持ち、全部おまえのモンだから。オレだっておまえじゃないと嫌なんだからな。おまえ以外のヤツを好きになることなんてない。ずっと・・・おまえだけだから」

言い終わる前に直江の広い胸に抱きしめられた。

「わたしの気持ちも全てあなたのものです」

月明かりの下でふたりは再び唇を重ねた。





「ビデオカメラ、持ってこればよかったね」
「こんなシーン、生で拝める機会なんて今後絶対なさそう。もったいないことしたな〜」
「自分のお兄ちゃんながら・・・すっごい照れるわ」
「これがほんとの『ふたりの世界』ってやつよね」

こそこそと声を潜める美弥とあきら。
実はパーティールームからふたりが抜け出したのを見つけて後をつけてきたのである。
見つかる前にとっとと帰ろう。
ふたりの世界で盛り上がっていた高耶は美弥とあきらに一部始終を目撃されていたことに全然気づかなかった。









長谷部夫妻に挨拶をして、高耶たちがホテルを出たのは翌日の午前中だった。
松本まで電車で帰ると豪語していた高耶を「途中までは同じ方向ですから」と強引にウィンダムに押し込んだ。
美弥もあきらと一緒にいられるのを大喜びしていたので、しつこく断ることもできなかった。
ホテルを出発してからはゴールデンウィークと同じく『機関銃トーク』を繰り広げていた彼女たちだったが、夜通し喋りまくっていてほとんど眠っていなかったため一時間もしないうちに後部座席からは寝息が聞こえ始める。
助手席に座っている高耶はバックミラー越しに眠る美弥たちを見て呆れ顔。

「あんだけはしゃいでたら疲れるよな」
「そうでしょうね。明け方近くまで話し声が聞こえましたから」
「おまえも起きてたのか?」
「いつものクセで同じ時間に目が覚めてしまうんですよ。父が夜明けと同時に起きるタイプの人間なので、わたしたちもよくつき合わされてるんです」
「オレには無理な話だな。早起きっつーもんは苦手なんだ」
「あなたに早起きして境内の掃除をしろとはいいませんよ」
「何の話だよ」
「何の話って・・・あなたがわたしの家にお嫁に来てくださったときの話です」
「誰が嫁に行くだとぉ?どの口がそんな馬鹿げたコトをほざくんだ、コラァ」

右手を伸ばして直江の頬をギュッとつねる。
容赦ない恋人の攻撃に直江は眉を寄せた。

「高耶さん、危ないじゃないですか。運転中なんですよ」
「ハンドル握って前見て運転に集中してたらこんな痛み、どうってことねーだろ」
「そんな無茶な・・・」

とは言ったものの、やはりこれが原因で事故られてはたまらないと高耶は手を引っ込めた。
つねられた場所は微かに痛む。
ちらりと横目で高耶を見ると左手の薬指には昨夜直江が贈った指輪がはめられている。
美弥たちの手前、恥ずかしがってすぐに外してしまうと思っていたのだが、高耶がずっと指輪をはめていてくれるのが嬉しい。
知らず緩んでくる頬と瞳。
そんな直江を高耶が軽く睨んだ。

「何をニヤニヤ笑ってんだよ」
「いえ、別に」
「思い出し笑いは別名『スケベ笑い』っつーんだよ。おまえまた、やらしいこと考えてたんだろ」
「高耶さんが隣に居てくださるのに、高耶さん以外のことを考えるなんてわたしにできるわけないでしょう?」
「どーしておまえは、そーゆーこっ恥ずかしいセリフがペラペラと言えるんだろうな」
「高耶さんが好きだからですよ」
「・・・」

何を言っても無駄だ。
高耶は諦めて窓の外に視線を流した。
互いに黙りこくってしまっても車内を流れる空気は優しい。
この沈黙さえ自分を包み込んでくれるものであることを高耶はよく知っている。

「ありがとな」
「?」
「照弘さんにも礼言っといて。何だかんだあったけど楽しかったし、美弥も喜んでたし」
「永遠に幸せな恋人同士でいられるし・・・ですか?」
「バカ言ってんじゃねーよ」

直江の言葉に高耶は笑った。

(ま、それもあるけどな)

しょせん言い伝えは言い伝えでしかない。
それから幸せになれるかどうかは本人たちの意思しだいだ。
幸せになれるように努力するから、結果的には幸せだと言えるのではないだろうか。
だが思う力が強ければそれだけふたりの絆は深まる。
強く結びついて離れない。
だから永遠に幸せでいられるのだろう。

「負けらんねーよな」

こんなに応援してくれる妹たちのために。
自分を一生思ってくれると誓ってくれた直江のために。
自分の気持ちを貫き通すために。
高耶の独り言に直江は首を傾げた。
そんな直江を高耶は優しい瞳で見つめていた。










「つきましたよ、高耶さん。起きてください」

いつの間にやら眠ってしまったらしく、直江に肩を揺す振られ目を覚ますと仰木一家が暮らしている団地の前にウィンダムは停車していた。
美弥とあきらも直江の声に眠そうな目をこすりつつ動き始める。

「さんきゅー。助かった」
「かまいませんよ。わたしも少しでも長くあなたと一緒にいたかったことですし」

またこの男は・・・と高耶は頭に手をやった。
美弥たちはお喋りに夢中になっていて聞いてはいなかったのだが。
トランクから荷物を取り出して肩に引っ掛ける。

「少し休んで行けば?コーヒーくらい飲んでけよ。まだまだ先は長いんだからさ」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ休ませていただきます」
「お兄ちゃん、美弥たち出かけてきてもいい?あきらちゃんに松本案内してあげるの」

美弥が高耶の服の裾を引っ張り訊ねる。
あまり遅くなるなよ、と高耶が言うと「了解」と敬礼をするマネをして美弥とあきらが連れ立って走っていく。
車の中で眠り続けてきたせいか、エネルギーは十分に充電されたようだ。
互いに顔を見合わせて笑い、コンクリートの階段を登り出す。
学生は夏休みだが、社会人は平日のこの日は仕事。
当然高耶の父親も会社に出勤していて留守である。
ドアを開けると閉め切っていたため空気が熱い。

「あっちーなー」

靴を脱いで家の中に入ると高耶は居間の窓から台所の窓。
窓という窓を開けて歩いた。
扇風機のスイッチを入れるが熱気を含んだ風を送り出すだけだ。

「悪い、直江。コーヒー淹れてやるから、その辺座って待ってろ。アイスコーヒーのがいいよな。暑いし」

高耶が台所へと消えて行き、直江は居間のちゃぶ台の前に腰を下ろした。
高耶の家に入るのは昨年のクリスマス以来だ。
あのときは誤解した高耶の父親に思い切り殴られたっけ。
幻の痛みに頬がぴりっとする。
思い出してひとりで笑っている直江。
ひょいっと高耶が台所から顔を覗かせる。

「アイスコーヒーきらしてた。買ってくるから留守番頼むわ。ソッコーで帰ってくるから」

言うが早いか高耶は玄関を飛び出していった。
弾丸の勢いで階段を駆け下りているのだろう。
ひとりになると急に眠気がこみ上げてきた。
運転中は神経を張り詰めているので眠くはなかったのだが長距離運転を終えて気が抜けたのか。
かみ殺せない欠伸が次から次へと襲ってくる。
眠ってはダメだ。
暗示をかけるように繰り返すが、それが余計に睡魔を助長することになった。
壁にもたれかかったまま直江は眠りの世界へ引きずり込まれていったのである。



五分後、速攻で帰ってきた高耶は不思議なものを見るように目を丸くした。
居間で直江が居眠りをしている。
壁に背中を預けてそれはもう無防備に。
高耶が近くにいることすら気づいていないだろう、熟睡状態。

「・・・初めて見たぞ。こいつのこんな寝顔」

三十近い男に「寝顔が可愛い」と思うのもどうかと思ったが、安心しきった子供のように眠っている直江が堪らなく愛しく思えた。

「おーい、風邪ひくぞ」

額に落ちる前髪をすく。
さらりとした髪の毛が高耶の指の間を滑り落ちていった。
優しく微笑んで高耶は部屋からタオルケットを持ってくると直江のお腹にかけてやる。
それでも直江は起きない。
買ってきたアイスコーヒーのボトルを冷蔵庫に片付け、高耶は居間に戻ってくると直江の隣に座った。
規則正しい寝息。
直江の肩に頭を預けて寄り添うと触れた肩先から直江の体温が伝わってきた。
こうやって何もせず身を寄せ合っているだけでも幸せになれるのが不思議だ。

(やっぱオレ、こいつの隣が一番安心するな)

改めて再確認。
直江の隣に居られるために、自分ができる精一杯の努力をしよう。
誰にも渡せない唯一の場所なのだから。
伝わってくる温もりが心地よく、高耶もいつの間にか眠ってしまっていた。



「ゲッ!もうこんな時間かよっ!!」

直江の肩にもたれかかったまま眠ってしまった高耶が時計を見て悲鳴をあげる。
あれから数時間が経過していた。
高耶の隣で直江はまだ眠っている。
慌てて肩を掴んで揺さ振り起こす。

「直江、起きろっ!!時間っ!親父が帰ってくるっ!!」
「・・・すみません、あと少しだけ・・・」
「寝ぼけてる場合かっ!とにかく起きろぉ〜!!」

寝起きは悪くないはずなのだが、よほど疲れていたのだろうか寝起きが悪い。
こうなったら最終手段。

「直江、ごめんっ」

両手で思い切り直江の頬を張り飛ばす。
パンッと小気味よい音が響いた。
その衝撃で直江の目がぱっちりと開く。
いったい何が起こったのか理解するのに数秒かかった。

「わたし・・・ひょっとして寝てたんですか?」
「おう、そりゃもうぐーすかぴーと・・って、そんな悠長なこと言ってる場合じゃねえっ。親父が帰ってくる。顔合わせると厄介だから、とりあえず車へ・・・」

慌てふためく高耶をよそに、玄関には人の気配。
頼む、美弥とあきらであってくれ。
高耶の願いも虚しく聞こえてきたのは父親の声。

「ただいま。高耶、美弥、帰ってるのか?」

絶体絶命。
高耶の背中に冷たい汗が伝った。
足音は確実にこちらへ近づいてくる。
逃げるには窓から飛び降りるしかないが、ここは団地の三階。
飛び降りたら危険だ。

(南無三っ!)

念仏が飛び出すほど気が動転している。
そして顔を覗かせた父親の顔が凍りつく。

「どうしてこの男が家に居るんだぁぁぁぁぁ〜!!」

仰木父の絶叫は両隣三件分は余裕で聞こえていただろう。
最悪の事態に高耶は頭を抱えてしまった。









ほどなく美弥とあきらが帰ってきて、高耶たち四人は居間に正座させられ父親と対峙していた。

「高耶、おまえは父さんを騙してこの男と旅行に行ってきたのか」

ああ、嘆かわしいとばかりに盛大に肩を落とす父親。

「偶然出会ったんだよ。んで、帰る方向が一緒だったから送ってもらったんだ。電車賃もうけたんだからいいじゃねーか」
「そんなことは問題ではな〜いっ!」

父親が怒鳴る。
高耶の隣に座る美弥、そして直江の隣に座っているあきらが同時に肩を竦めた。

「父さんはおまえを親に嘘をついて男とホテルに泊まるようなフシダラな息子に育てた覚えはないぞっ!!」

・・・女とだったらいいのか?
男同士なんだから別に問題ないじゃないか。
親に嘘をついて女とホテルに泊まるほうがよっぽど問題だと思うのだが。
今はまだ親のスネカジリの身だとこらえていた高耶だったが・・・。
延々と続く父親のお小言に限界まで張り詰めていた我慢の糸がプチッと軽やかな音を立てて千切れてしまった。

「直江・・・」
「どうしたんですか、高耶さん。目が据わってますよ?」
「どーしたもこーしたも・・・。ちょっと面貸せや」

目は据わってる、声は低くなってる・・・ガラが悪くなってる。
高耶から発せられる不穏な空気にその場に居た一同が息を飲んだ。

「この分からず屋のクソ親父・・・」

低く呟く。
その言葉に仰木父もこめかみの青筋をぴくぴくさせた。

「今、何て言ったんだ、高耶」
「分からず屋のクソ親父っつったんだよっ!」
「親に向かってなんて口の聞き方だっ!」
「親父が何にもわかってくれねーからだろうがっ!目ン玉ひん剥いて、オレの本気、じっくり見てみろっつーんだ!」

そう吐き捨てて直江の襟を掴んで強引に自分の方へ引き寄せる。
噛み付くような激しいキスに仰木父をはじめ、美弥とあきらまで開いた口が塞がらなかった。

一分経過。




二分経過。



三分、四分経過・・・。



たっぷり五分は唇を重ねていた高耶は挑戦的な目で父親を見た。
おもむろに立ち上がると自分の部屋に入り、参考書着替え筆記用具をカバンの中に放り込んで再び居間に引き返す。

「行くぞ、直江」
「行くってどこへですか?」
「東京のおまえのマンションっ!」

直江の腕を掴んで高耶は無言で家を出て行った。
その後を美弥とあきらが、そして一瞬放心状態だった父親が追いかける。

「その男と一緒に行くなんて、と、父さんは許さんぞっ!」
「夏期講習、行って来る」
「夏期講習は八月からだろう。まだ七月の二十四日だぞ」
「一週間くらいかんけーねえだろ。いいか、親父。オレが現役で合格したら、ぜってーに文句言わせねえからな。よっく覚えとけよ!」
「上等だ。その代わり現役で受からなかったら二度と会うことは許さんからな」
「上等じゃん。ぜってーに受かってやるから覚悟しとけよな」

ウィンダムの助手席に乗り込み乱暴にドアを閉める。
こんな事態になるとは思いもせず、困惑した直江だったが高耶の父親に頭を下げるとあきらを促して車に乗り込んだ。
やがてウィンダムのボディが見えなくなると父親はその場にへなへなとしゃがみ込む。

「お父さん、大丈夫?」
「美弥、おまえは高耶があの男と一緒に行ってしまったというのに、どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだ」
「だって美弥はお兄ちゃんの味方だもん。反対される恋ほど燃え上がるって本当だよね〜」
「そんな悠長なことを言ってる場合かぁ!」
「ほらぁ、恥ずかしいから家に入ろう。お腹空いたでしょ?ご飯作ってあげるから」

頑張れ、お兄ちゃん。
心の中でエールを送って美弥は父親の腕を引っ張った。





「高耶さん、本当によかったんですか?」

ウィンダムを走らせながら直江が問う。
もうすぐ松本ic。
引き返すなら今のうちなのだが。

「いいの。ったく、あの石頭親父」

ふて腐れて腕組みをしたまま高耶は前方を睨みつけている。
言い出したらテコでも動かない高耶。
落ち着いたら美弥に電話を入れようと、直江は半ば諦めモードでウィンカーを出した。



こうして高耶vs仰木父のラストバトルが始まった。
見事大学に現役合格をして幸せになれるのか。
それとも玉砕して離れ離れにされてしまうのか。
それぞれの思いを抱えたまま、高校最後の夏休みがスタートした。










=END=   [eternal love〜子供の本気〜]へ続く

仰木家シリーズ4  著・なぎ様(蜃気楼の館

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