home(フレームなし)>創作場>イタダキモノ>セレナーデ4
セレナーデ
|
―4―
その日は朝から雨だった。 降りしきる雨を窓から見つめながら、摩白は練習もそっちのけでずっと雨音に耳を澄ましていた。 「・・・今日はさすがに来ないわよね」 ぽつりと呟く。 習慣のようになっていた訪問者も、さすがに今日のような天気では来れないだろう。 (って、そんなのどうでもいいじゃない・・・) 何を自分は期待しているんだと、自分で突っ込む。 雨はまだ、やむ気配がなく、地面に打ち付ける音は一層強くなっている。 本格的に降り出したようだ。 (・・・何を気にしているのかしら。私) 机に寝そべって、ぼんやりと思う。 『僕の一生大好きな人』 その言葉を口にした時の彼の表情。その人が愛しくてしょうがないというような目つき。 あんな彼の顔は、初めてだ。 それがずっと摩白の頭に引っかかっていた。 いつか言っていた、彼の『目指している人』と関係があるのだろうか。 そういえば、その人は死んでしまったとも聞いた。彼が音楽を止めようと思ったのも、その人の影響で。 一体どんな人なのだろうか。あの自信たっぷりの男にあそこまで言わせる人は。 その人にバイオリン教わったのだろうか。 その人のこと好きだったなら、そのことちゃんと伝えたのだろうか。 考え出したらきりがない。 「・・・なんか考えているのがバカらしくなってきたわ」 よくよく考えると、自分ばかりが彼に振り回されているような気がする。 突然目の前に現れて、貶したかと思えば優しくしたり。でも、自分のことは何一つ教えてくれなくて。 そんな男に気を許して、泣き顔まで見られてしまった。 今考えるとひどく恥ずかしい。 「・・・それもこれもミナトのせいよ」 そう呟いた、その時。 「僕がなんだって?」 「!?」 窓からの声に、飛び上がる。 驚くのも無理はない。さっきまで考えていた人物がそこにいたのだから。 窓に立っていたミナトのその制服はぐっしょり濡れ、髪からは雫が滴っていた。 「・・・な・・・何やってんの?びしょ濡れじゃない」 「ああ、これ?やっぱり無茶だったかな、こんな日に木登りなんて」 無茶にも程があります、お兄さん・・・ と摩白は言いかけて、ハッと気づく。 「ちょっ、ちょっと待ってて!今タオル持ってくるから!」 「ああ、お構いなく―」 「私が困るのッ」 部屋を濡らしてもらってはこっちが迷惑だ。急いで部屋を飛び出し、タオルと着替えをもって再び戻ってくる。 「はい、これ。お父さんのだけど、我慢して」 「そんな、着替えなんていいのに・・・」 「風邪引くでしょ。あ、体ちゃんと拭いてから上がってよ 「・・・・・・」 ぽかん、とした表情でミナトは彼女を見つめる。 「・・・何?」 「あ、いや。なんかお母さんみたいで」 「〜っ」 バフッと着替えとタオルを投げつけ、摩白は部屋を出て行った。 「バカなこといってないで、早く着替えてっ」 「―はいはい」 扉の向こうで彼がくすくすと笑っていたのが聞こえ、摩白は腸が煮え繰り返るような気持ちだった。 思いのほか、父のブラウスとズボンはミナトの体型によく合っていた。 少しゆとりがあるが、それでもびしょびしょの服を着ているよりはマシだろう。 「・・・ふむ、悪くないね。シルクって着たことないけど、やっぱりこの僕にはこういう高級品がお似合いかな?」 「勝手に言ってれば」 呆れて物も言えない。 こんな雨の日まで窓からやってこなくたって良いのに、とも思う。 「・・・何しに来たの」 「え?」 「・・・何もこんな日まで来なくてもいいでしょ。別に約束してるわけじゃないんだから」 「会いたかったくせに」 「なっ」 「なーんて冗談だよ。会いたかったのは僕の方」 「っ・・・」 摩白は開いた口がふさがらない。 恥ずかしげもなくよく言えるわ、と逆に感心してしまう。 もちろん彼にとっては冗談でしかないのだろうけれど、端整な顔でキザな言葉を言われると動揺しないという方がおかしい。 (・・・なんか変だわ、私) 初めて会った時は、何を言われても平気だったのに。 今は彼のちょっとした言葉一つで、気持ちが揺れ動いてしまう。 そう、例えば――あの言葉を言われた時みたいに。 「・・・この前のことなんだけど」 「!」 まるで自分の気持ちを見透かされたように感じ、摩白は目を見開く。 「あんな意味深な言葉を吐いて、それっきりなんて気になってしょうがないと思ってね」 だから今日はどうしても会いたかった、と彼は言う。 「・・・そんなの。別に気にしてないわ」 つい、そう口走っていた。可愛げがない言葉だと知りながらも。 しかしミナトには全部お見通しだったようだ。 「・・・気にしてるくせに」 「してないわ」 「素直じゃないなぁ」 「〜だから、気になってなんか・・・」 「―姉さんだよ」 「え?」 呆気に取られる摩白をよそに、ミナトはどこか遠くを見つめるような瞳で話す。 「僕が今でも好きで、この僕が唯一目指していた人。僕の姉さんなんだ」 「・・・・・・」 思いがけない言葉だった。 「亜里沙(ありさ)っていってね。僕とは七つ違いだったんだ。姉さん、昔からバイオリンを弾くのが好きで・・・僕は姉さんが弾くバイオリンの音色が好きだった」 それは懐かしい記憶を思い出す時のように。 微笑ましく、そして今でも大切に思っているという気持ちが瞳に表れていた。 「そんな姉さんと一緒に弾きたくて、みようみまねで僕もバイオリンを始めたんだ。これが意外にも僕の性にあっていてね。今では姉さんのことと関係なく、本当にバイオリンを弾くのが大好きになっているよ。自分でも驚くくらい」 きっかけなんてものは、本当にささいなことなんだと思う。 大事なのは、それを好きになって続けられるかどうかだから。 「・・・君は知らないだろうけど、結構姉さんはいろんなコンクールで賞を取っていたんだよ。聖クラシアス学校にも通っていて、皆の注目の的だった」 そういえば聞いたことがある、と摩白は記憶を手繰り寄せる。 ただその頃は自分のことしか頭になくて、他人はどうでも良かったから、気にはしてなかったけれど。 「それまで僕もバイオリンなんてものは趣味程度にしか考えてなかったんだけど、姉さんを見て本格的に始めたいと思ってね。姉さんと同じ学校に入学した」 「・・・凄い人だったのね。そのお姉さん」 「うん。凄い人だったよ」 自慢するように、微笑む。 「両親は平凡な人で音楽家の血なんて全然ないのに、姉さんは違った。毎日毎日血豆ができるくらい猛練習して、ついには無名のバイオリニストとして花を咲かせた。弱音なんか全然吐かなくて、僕から見れば強い人だと思ったよ」 真っ直ぐ、ひたむきに自分の夢を追いかけて。ついにはそれを現実にしてしまうのだから、本当に誇り高く気高き女性だと思う。 「僕の、自慢の姉だったよ」 そう言う彼の顔は、姉としてではなく―それ以上の気持ちも含まれているように見えた。 「・・・けど、二年前の交通事故で、あっけなく死んでしまってね。そうしたらどうだろう。途端にマスコミや周囲は君に注目をし始めた」 「・・・・・・」 「僕は我慢ならなかったね」 ミナトの目が急に厳しさを含んだ色に変わる。 「・・・憎かった?」 「ああ。憎かったね」 何の不自由もなく、何の努力もしないでもそれなりの実績をあげられる。 それでいて周りから賞賛の声を浴びても、顔色一つ変えない少女のことを。 心底憎いと思った。 「いつか見返してやろうと僕は密かに企んでいた。そのためにこの一年、自分の腕を磨いて磨いて磨きまくった。君なんか、名前だけのバイオリニストだって嘲笑する為にね」 ただそのためだけに。 練習に没頭していた。 その時の根性と執念は、どれほどのものだったただろうと、摩白は考えなくても分かった。 「やっと満足の行く出来になってきた矢先、ちょうどこの辺を通りかかって。それで、君の音色に出会ったというわけさ」 「じゃあ、あの時入ってきたのは―」 「そう。つまりは復讐のためだよ。君に近づいたのも、君に僕の演奏を聞かせたのも。・・・全部僕のエゴってわけ」 すべては、彼の思惑通りだったというわけだ。 摩白は唇をかみ締める。けれど罵倒も泣きもしなかった。 ただ彼を睨みつけた。 「・・・それで?復讐の成果は?」 楽しかった?私が悩んでいるのを見て。 嬉しかった?私が貴方に負けを認めたのを聞いて。 彼女の目がそう物語っていた。 しかし返ってきたのは、彼女が予想していた言葉ではなく――意外な言葉だった。 「―いや。上手くいくどころか、正直予想外」 「・・・?」 「ただ才能に甘んじているお嬢さんかと思えば、自分の音を見つけるために努力しているお嬢さんだったし。・・・それに」 「それに?」 ミナトはふう、と息を吐いて答える。 「君の音色を聞いた時・・・すごく綺麗だと本当に思ったんだよ」 「で、でもあの時、楽譜通りの心がない音だって・・・」 「確かにそう言ったけど。それすらも忘れるくらい、強く引きつられたのも確かだよ。・・・天才の名は伊達じゃないと思えるくらいにね」 それほど、彼女の音色は心を囚えた。 全身が逆立つような身震いすら覚えたのだ。 「あの時は、悔しくてそんなこと言えなかったけどね」 「嘘・・・」 ミナトも、同じだったのだ。 摩白が彼の演奏に囚われたように。彼もまた、摩白の音色にひかれていた。 その事実に、摩白は声が出なかった。 「その瞬間、復讐を考えていた自分も、何もかもバカバカしくなってね。―思ったんだ。この子を僕のライバルにしたいと」 だからあの時声をかけた。 『僕のライバルになるくらい、成長してみせてよ』 そう言った時にはすでに、信じていたのだ。 彼女がいずれ、自分のライバルになるほどの人物になってくれると。 「けど、あれだけの実力があるなら、私になんか構わないで、上に上がればいいじゃない」 「ライバルは多い方がいいだろう?」 簡単に言ってのけた。 「それには張り合いのない相手じゃ、つまらない。僕と同じくらいの力を持ってる奴じゃないと」 唯一のライバルは、とうに失ってしまった。 もう二度と張り合うことも出来ない。 「ライバルを蹴落として、それでトップにならなきゃ、納得できない」 自分の力をもっと磨く為にもね、と呟いた。 「・・・つまり私は貴方の踏み台ってわけ」 「そういうことになるね」 「・・・いい性格してるわね」 「よく言われるv」 うふ、と可愛く笑ってみせる。 「それにライバルいた方が、楽しいじゃない?」 復讐のためよりも。 『ライバル』として競い合った方が、ずっとずっと楽しいって。それが分かったから。 「・・・負けないわ」 「さあ、どうだろうね。僕を超えてごらん?」 挑発的な笑みを浮かべて言って、彼は立ち上がる。 「じゃあ、今日はこれで帰るよ」 服、今度返すねと告げ、彼は再び雨の中に飛び込んでいった。 「・・・・・・」 ぼーっとしたまま、摩白は彼の消えていった方向を見つめる。 「・・・誰が負けるもんですか」 負けない。彼にも、その彼をひきつけている女性にも。 「・・・負けないわ。絶対に」 そう言った彼女の顔が、どこか嬉しそうだったことは。 本人ですら知らない。 <続> |
home(フレームなし)>創作場>イタダキモノ>セレナーデ3