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空のごとく海のごとく
第一章 始まりは突然に
第一節 遭遇
「いやー、おっちゃん、本当ーに、ありがとな!!」 「んだべ、海の真ん中に立ち泳ぎしてる奴っちゃ放ってたら、海の神様に見捨てられんべ」 タワシのような髭を生やしたまさに海の男は、んだ、んだと頷く。 今にも沈みそうな船は今まで乗っていた船とは天と地の差である。が、男にとっては渡りに船で、おじさんは神様にも見えた。 助けた少女も軽く蘇生法を施すと、海水を吐き出し、本当の意味で呼吸が戻った。 「しんかし、あんたも大変な目に遭ったなあ、助けたはいいんが、海の真ん中に置いてきぼりとはなあ」 苦笑するほかない。 「おかげで文無しっす」 海の男はけらけらと笑う。 「今日は、ばーさんが温かいシチュー作ってんで、泊まってけーや」 ケラケラとおっさんはよく笑う。 「それほどのもてなしゃあはできないがなぁ」 軽く肩を竦めてみせた。 「その一杯のシチューが美味しいんっすよ」 漁師はそのままの人の良さで、豪快に笑っていた。 ずぶ濡れの男もまた、一緒に豪快に笑った。 「そういうや、あんたの名前は?」 「名前っすか? ばーー、ウィ、ウィムっす!!」 髪の毛を掻き上げて、バルバ・M・ロダリオは咄嗟にそう名乗ることに決めた。 「……ん? ……こ……ここは…?」 バルバが漁師と意気投合して話に盛り上がっていると、か細い少女の声がその場に幽かに響いた。 「お、気付いたかお嬢ちゃん」 少女に笑いかけながら近づく青年。 「あら……? ……私はたしか海鳥に突かれて――……」 夕陽のような色をした澄んだ瞳は未だにその青年を映すことなく、宙を彷徨っている。 「海に……落ちたような??」 なんとか床に上半身を起こした少女へ目線が合うよう青年は屈み込んだ。 「ああ、その通りだ。あんな高さから落ちて、ちゃんと寸前のことを憶えてるんだな。偉いぜお嬢ちゃん」 と、ニカッと人を惹きつけるような笑みを向けて、少女の頭をよしよしと撫でる。 「は、はあ……」 されるがままに頭を撫でつけられていた少女は、彼の言う「お嬢ちゃん」が誰を指しているのか最初分からずいた。自分のことだと気付いたのは、実に三十秒ほど経った後だった。 それと同時に、はたと我が身を振り返る。髪などずぶ濡れではあったが空から落ちた自分が無事な姿をしているのに気付いて、やっと青年に焦点をあわせた。 「……はっ! もしや貴方さまが私を助けて下さったのですか??」 「う、うーん、まあそういうことになるのか」 一緒に溺れかけたがな……という言葉は飲み込んでおいた。 少女の天然ぶりに苦笑いをしながら肯定する青年は目鼻立ちのはっきりした精悍な顔をしている。 「ああ、やはりそうだったんですね! 助けて下さってありがとうございます!!」 と、少女はバルバに花のような笑顔を浮かべて礼を言った。 「いや、そんな礼を言われるようなことなんかしてないぜ。それにおっちゃんの船が通らなかったら今頃どうなってたか分からなかったしな。ま、どっちにしろ――海で溺れてる者を放っておいたら海の神様に見捨てられる――てな! そうだろ、おっちゃん」 背後にいる漁師のおじさんにウィンクする。 おじさんも「んだべ!」と快く頷く。 そんな二人を眩しいものを見たかのような目で少女はくすっと笑った。 「お二人とも本当にありがとうございます。私はセレスティ・アラインと申します。どうかセレスと呼んで下さい」 と少女は深々とお辞儀をした。 「俺はバ――じゃなくてウィムってんだ、よろしくな、セレス」 「おらはトニーっていうんだぁ、よろじくな」 やけに礼儀正しい少女に二人は目を見張ったものの、気を取り直して自己紹介をした。 その日の晩はトニー夫妻とウィムとセレスの四人でスープを囲んでの食事となった。 「おっちゃん! うめーなこのスープ!!」 「んだべ、ばーさまの自信作じゃ!!」 ウィムは大いに美味しそうにスープを頬張る。トニーもそれを見て快くする。がむしゃらにスープを掬う男たち――。 「今日、おっちゃんが捕った魚は?」 「これからだんべ!!」 セレスとトニーの妻は微笑ましく見守っていた。 「おばさま、トニーのおばさま」 「なんだい? セレスちゃん」 「伺ってよろしいですか?」 「なんなりと」 「はい、あのー…」 非常に困惑した顔をして、セレスはスープの具の一つをスプーンに乗せた。 「これは何ですか? グミよりも弾力性があって……、とてもとても噛み切れません。これは……」 セレスは言うのを少し躊躇ってから、意を決して声に出した。 「何でしょうか? このようなのは初めてです」 「あんた、これ知らんのかい? おんもしろい子だねぇ」 トニーの妻――ジニーもトニーそっくりに豪快に笑う。笑われてセレスは初め呆気にとられていたが、ウィムとトニーがこちらに注目しているのに気付くと見る間に顔を赤くして俯いてしまった。 「やだね〜。こぉん子は! 冗談お止しよ。どこからどう見ても貝芋だよ」 「この芋はなー。海岸付近や川沿いに根をはる水芋の一種だよ。ちと硬いが、なかなか良い出汁がとれるんだ。普通は出汁とるぐらいしかしないが、まれに食べることもある。山岳地帯や上空の気圧の高い地域じゃ育たない一品だ」 ウィムが少し学があるところを見せる。 「んだべ、びんぼーな家じゃ無駄にはできん、食べんべ。嬢ちゃんの口んにゃ合わなんかったかい?」 トニーが心配そうにセレスを見た。慌ててセレスは頭を振った。 「い、いえ!! そうではなく、初めて出会いまして…、お、美味しいです!!」 「無理せんとええよ。ちーと硬いし――、病人にはきつうかもね」 ジニーは豪快に笑う。 「ちょっと貸してごらん。食べやすく作り直すだよ」 「あ!!」 セレスに遠慮を言わす暇なく、セレスの器と食卓の鍋はすぐさま台所へと誘われた。セレスは後ろ髪を引かれる思いで台所を眺めると、ジニーは鼻歌交じりで調理をしている。 「あぅんだ、どこから来なさったね?」 目の前のトニーはあっけらかんとしている。奥さんのジニー同様セレスの発言を気にしている様子はない。 「あ、あの――……」 実際、貝芋は一般的に具として食されている。出汁としてしか使わないのは上流階級の間だけで、その味自体を知らないとなれば話は別だ。どこぞの秘境に住んでいたとしか考えられない。 「わ、私は――……」 「いいじゃねーか、貝芋の一つや二つ知らなくても、女の子はチャーミングで可愛いけりゃ」 「そげども、気になるでねーの」 セレスをちらりと見たウィムは困った表情で頬を掻いた。セレスが金魚のように口をパクパクと動かしている。 「その話は後ででも……」 「わ、私は――……!! エルグレイドから来ました!!」 セレスはウィムの助け船を遮って、叫んだ。 豆鉄砲をくらったようにウィムとトニーはセレスに注目した。 「……」 沈黙が走る――。 「――そげ……、どこ?」 「……」 部屋に冷気が走った。 「さ! 芋粥ができたでー!! こんなら口に合うはずだねぇ!! セレスちゃん」 ジニーが熱々の鍋を運ぶ。美味しい香りが漂い、思わず唾を嚥下した。 「その話はまた後でにしよう。今はジニーママの料理を食べちまおうぜ!!」 「そだな!!」 トニーもウンウンと頷き、皿をガッツキ出した。ジニーは相変わらずニコニコと器に盛る。 「あたいもね〜、実を言うと貝芋は粥のが好きだべ〜」 ジニーはセレスに笑って囁く。セレスもつられて笑う。 この楽しい団らんはトニーとウィムが鍋を空にするまで続くのであった。 その夜――……。 セレスはモゾリと起き出した。隣に横たわっているジニーとトニーはぐっすりと寝入っている。 「おじ様、おば様……、何も言わずに出て行くことをお許しください。このご恩は一生忘れません。お二人の幸福をお祈りいたします」 呟くように小さな声で囁き、お辞儀に精一杯のお礼を込める。そして、徐ろに頭を上げるとセレスは静かに寝室の扉を閉めた。 着てきた衣を纏って、シーツをマント代りに頭から被った。玄関のノブに手をかける。 セレスは気が高ぶっていた。この扉を開けば外は自分の知らない世界である。不安ばかりが募り、足がすくむ。しかし、そうしてばかりはいられない。時間がない――……、こうしている間にも追っ手がやって来るかもしれない。ジニーやトニー、そしてウィムにはもうこれ以上迷惑はかけられない。行くしかないのだ。ノブを持つ手に力を込めた。 扉は開かれる。 満天の星空――。 セレスは声を上げそうになった。慌てて出そうになった言葉を飲み込み、その大自然の祝福にしばし見入ってしまった。 「こんな真夜中にどこに行くんだ? お嬢ちゃん」 「!!」 唐突に呼びかけられ、セレスは振り返った。 「…………」 屋根の上にウィムが寝転がっている。 「あ、あの……」 ウィムは難なく屋根から飛び降りると、セレスの前に立ちはだかった。何とも興味深そうに覗き込まれ、セレスは見透かされているようで居たたまれない。 ふと手が伸び少女の両肩に優しく触れた。 「出て行くのは明日でも遅くない。今日はお休み」 ウィムはセレスと目線を合わせ穏やかに微笑した。 「大丈夫、何も心配することはない。どこに行きたいかは知らないがちゃんと送り届けてやるから」 「そこまでしていただいては――!!」 慌てて首を振るセレスにウィムは苦笑った。 「俺だってここの住人じゃないんだぜ」 セレスはアッと口に手を当てた。ウィムは少女がすまなさそうな顔をする前に言葉をつなげる。 「ま、そういうこと。この島を抜け出すまでは運命共同体ってことさ。よろしくな、お嬢ちゃん」 そして、少女の背中を軽く押し、玄関の扉の中に押し込めた。 「お休み、良い夢を、な」 ウィムは扉を閉めると再び屋根の上によじ登った。 「参ったな」 照れを隠して皮肉げな笑みを浮かべた。 「この俺が見とれるなんて――、な」 振り返った少女の姿は月明かりに照らされて青磁のようで、神秘的に白く浮かび上がっていた。 少女が星に見とれたようにバルバも彼女に見とれたのだ。よく見れば相当の美少女である。 「俺としたことが不覚をとっちまったな」 煩いほどに瞬く星々――。胸躍る気持ちを抑えて、目を閉じた。 「ま、今日のところは星空の女神で勘弁しておきますか」 その日の夜はこうして更けていった。 <了> 第一章第一節 第二節へ続く |
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