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空のごとく海のごとく
第一章 始まりは突然に
第二節 出港
空腹を満たした後、 すぐに船に乗るのかとセレスは思っていたが、そうではなかった。船に乗るためなら何でもするつもりでいたのだが、何故か港とは離れた方向に向かっていく。どこに行くのか尋ねてみると、 「そりゃ、こんな格好で長くはいられないだろ」 ウィムは自分の姿を見直して、苦笑した。 セレスを助けた時、バカンスを船の上で楽しんでいたウィムはレジャー用のパンツ以外洋服をほとんど纏っていなかった。だから、トニーから最もいらない服を貰って、申し訳程度に身につけていた。 派手に裂けたおんぼろのチュニックと見るも無惨な裾の膝下パンツを着て……、乞食に間違えられても可笑しくない服装だ。 辛うじて店に入れたのはセレスと一緒に歩いていることと正常な雰囲気が青年にあるからだろう。 それにセレスも着替える必要があるとウィムは言う。裾の長い白のワンピースに真っ青なボレロだけではやはり旅に向いていないらしい。 そんなこんなで入った仕立屋で事件は起った。 セレスは首周りのゆったりとしたハイネックのシャツと動きやすいルーズパンツを着用し、その上にダブルのボタンのショートコートを羽織った。まるで男の子か、女の子か分からない格好だ。 ウィムは女性の旅はこの方が良いと言うが……。 セレスが大きな鏡と睨めっこしている最中、ウィムは自分の服を選んでいた。 あれこれと先程からプレタポルテの服ばかり選ぶウィムに対して店主は明らかに不信の眼差しを向けている。 「それとそれ見せてもらえる? あと、ロングコートない?」 「お客さん、こちらの方が――……」 と、注文とは別に出してきたチュニックはウィムが指さしたのより安い生地のものだ。この薄汚い客が代金を払えるのか心配なのである。 「それじゃなくて、こっちの奴」 店主の気持ちなどいざ知らず、ウィムはそれには目もくれないで事も無げに言いのけてしまう。がっくりと肩を落とし、店主が言われたとおりの品物を結局もってくる羽目になるのであった。 そして、試着してみると――……。 なんとまぁ……、灰被り姫とはこのことである。 白いロングコート、その縁は鮮やかな群青で縁取られ、その上に金の刺繍で再度縁取っている。この店一番の高級品。 立ち襟仕立てのコートは無駄のない作りそのままに、ウィムの均整の取れた体と長身を際立たせていた。 呆気にとられたのは別にセレスだけではない。店主と二人、かける言葉なく顔を見合わせた。 「ふむ。まあまあかな」 満足気に鏡を見て、顎を撫でる。 目鼻立ちのはっきりとしたラテン系の顔立ち。それをより一層印象づける焦茶色の髪を撫で付けて、うなじの辺りで軽く結んでいる。 まるで『王子と乞食』そのままに、ただただ感心していた。人は身なり一つでこうも変わるものなのか。さっきまでの薄汚かった青年が、今は貴公子に変身している。 いや、鼻筋の通った顔は確かに美男子ではあるが、貴公子のそれ――優美さとは違う。貴公子の秀麗さを打ち消すほどの体から漲る覇気を彼は纏わせていて、立つだけでそこにスポットが当たる存在感がある。特有の雰囲気は麗しいというより、――雄々しい。 そう、彼の持つそれは王者の風格である。 圧倒的な何かを持っている。それが何であるかセレスには分からない。だが、庶民なんて言葉では括りきれないことは断言できる。 それを裏付けるかのように彼は小切手ですべての支払いを済ませた。相当額である。耳のカフスを店主に渡した。それだけで仕立屋の店主を信用させるのに十分であったらしい。 (彼は誰なのだろう――……?) セレスは他人を自ら強く知りたいと思ったのは初めてで、 強烈な印象のなかに芽生えた感情が何であるか、 少女はまだ知らない。 「…………」 向けられる笑顔で生じる自分の情動の正体を知らず、セレスは俯いた。 あれからウィムが何者であるか、気になっている。 頭の中は疑問でいっぱいだ。 ウィムは自分の想像を遙かに超える人物なのかもしれない。彼について知りたいと思う反面、知ることが怖いとも思う。 警鐘が鳴り響く。 「寒くないか」と聞かれて、「大丈夫です」と答え、 するりとウィムの腕から逃れた。 甲板の真ん中で振り返る。 ウィムはこちらを向いていた。 見つめる砂色の瞳――。 強烈な魅力に目が離せない気持ちがすべてに勝る。 それでも、今は深入りする時ではないと自分に言い聞かせる。 セレスにはやらなければならない使命があるのだから――。 「ディオーネ……」 ふと空を見上げ、セレスは知らず呟いていた。 「天空の女神がどうしたって?」 「え?」 聞き返されて、セレスは我に返った。 「ディオーネって天空の女神の名だろ?」 思ったことが勝手に口から出ていたらしい。セレスはゆっくりと頷いた。 「故郷が恋しくなったか?」 ウィムは悪戯小僧のようにからかう。 「違います!!」 子供だな、と笑われている気がしてむきになって否定した。 セレスの故郷――エルグレイドが天空の女神を信仰とする土地柄で、エルグレイド人は絶対の母として天空の女神を信仰をしている。 「じゃ、何?」 「それは――……」 セレスは押し黙った。 「私が天空の女神のために在るからです」 言葉を選んでそう告げた。 「あなたにも女神信仰があるでしょう」 「俺は信心深くないんでね。でも、強いて言うなら――……」 女神信仰とは、信仰と言うよりアイデンティティに近い。混沌とする宗教の中で唯一、世界が共通して持つ宗教的概念。世界創造を成した三姉妹の女神によって人は生かされているという考え方が根本原理にある。敬う女神は仕事や住む土地柄で異なり、また、帰属する女神は一族の中で代々受け継がれてきた。在るのが当然でごく自然すぎて、人は忙しい生活の中で神の存在を薄弱化していっている。それでもなお血脈に受け継がれているのが女神信仰である。 「深海の女神――オルディーネだな」 ウィムの、いやバルバのロダリオ一族の信仰は、今日、空を飛ぶ船の飛空挺事業を中心であっても、元を辿れば造船業と航海にあり、深海の女神に行き当たる。あまりに古い出来事でそれを知るものはほとんどおらず、天空の女神だと世間一般では思われている。 セレスは目を瞬いて、まじまじとウィムを眺めた。 「知ってますか? 『大地は根を生やした人を作る 風は赴くままな人を作り、――……」 「――……水は実直な人を育んだ』だろ」 最後をハモって、ウィムは肩を竦めてみせた。 世界の始まりが記された本、創世創書の一部で、子供の頃、童歌のように聞かされる一編である。 大地の女神――ウッディーネの加護はどっしりと構えた一途な性格。 天空の女神――ディオーネの加護はひたすら気まぐれな性格。 深海の女神――オルディーネの加護は音立てぬほど思慮深い性格。 といった感じに、大まかな人の性格を三女神の加護に当てはめた童歌。血液型で人の性格を測るのとよく似ている。 セレスにはどう見てもウィムが典型的なディオーネの性格にしか見えない。 「よく属性を空と言われませんか?」 当然だが性格と受け継がれてきた女神は一致しないことは多い。が、一致することも多い……。なにせ血液型のようなものだ。 「慣れたさ」 ウィムは肩からがくりと力を抜いて、膨れてみせた。 まるでその仕草自体が空の属性みたいでセレスは可笑しくなってしまった。 「そういうお嬢ちゃんだって性格だけなら、『地』だぜ」 「そうですか?」 セレスはくすくすと笑う。 「私はディオーネ様の自由の教えが好きです。根っからの、天空の民ですよ。」 ウィムにしてみれば、信心深く信仰するなど一途でなければとてもできないと思う。 「ふぅん、そんなものかね」 興味なさそうに相槌を打って、船縁に背を預けた。 セレスにしてみれば、あまりにその軽薄な態度が理解できない。もっとも一般にウィムほど信心深くない人間も少なくはない。 「あなたは深海の民に不満があるのですか?」 「不満ってか……、そういう問題じゃないんだ」 ウィムはどう話していいものやら、頬を掻いた。 「神様の存在を近くに感じるほど、虚しくないか?」 大きく息を吸って、 「神様は何も与えてはくれない。してもくれない。世界を生き抜くのは自分の力だ。人は神様にすがって生きてはいけないさ。特にビジネスの世界ではね」 バルバの身を置く世界はそんな場所だ。ロダリオ一族の御曹司として生まれ堕ちた運命は過酷である。ロダリオ財閥の会長として、当主として莫大な財産を引き継ぐ代償はバルバ自身の自由だった。気ままに生きることの難しさをバルバは知っている。好きで会長をやっているわけではない。バルバにとってはやらざるを得ないから、やっているにすぎない。あわよくば、弟に会長の座を継がせる計画を立てていたぐらいだ。 そして、なによりもバルバを拘束するのは、何を隠そう一族が祀ってきた深海の女神――オルディーネなのだ。 「でも、神話となっても神様は確実に世界に存在するわ」 セレスのまっすぐな橙色の瞳が見つめる。 「そう。オルディーネは深海石を授けて存在する。ある一族にその英知を与えて世界に君臨してる」 (――えー……ぇ!?) ウィムの語ることに耳を疑って、ますます凝視してしまった。 おっとりとした顔に非常に溶け込む橙色が瞬いて揺れる。言葉に出ない動揺が走ったのが目に見える。 その反応にバルバは目を細めた。 何故、ウィムが知ってるの?! 「――あ……なたは、――……」 言葉が続かない。 ウィムは、深海石が世界に存在する、と言った。 女神が世界に投げ入れた石――それは伝説の中だけの存在、と知られている。神石は所有している一族と共に遙か昔に消滅した。それが一般の考え。 しかし、その一族は今なお存在する。 そう、ある一族とは、世界に唯一財閥と名乗ることを許されたロダリオ一族のことだ。 中でも深海石はロダリオ一族の当主にしか開けられない『神封の小箱』に封じられ、それを知るのは、――極限られた人物――……。現会長のガウィダントだけのはず。しかし、ウィムとガウィダントが同一人物であることは、ありえない。まず年齢が不一致の上、何よりセレスは一度ガウィダントに会ったことがあるので間違えるはずがない。 じゃあ、ウィムは――……。 (――誰?) 「だからさ。知ってるから、信じない。そんなとこさ」 最後はあっけらかんと、さも重要そうではないように締めくくる。 セレスと結んでいた視線を解いた。 理解を求める為にセレスにこの話を話したのではない。バルバには考えあってのことだ。 押し寄せる風にコートがなびく。 バルバは一つ思い出した口伝がある。 もし、彼女がこの事実を知りうるならば、バルバの想像通りならば、 舞い降りた天使――――、 その指し示した答えは――――……。 「!?」 ふいにたなびくコートの裾が不可解な動きを示した。 その空気の流れの変化をバルバは見逃さなかった。背にしていた船首に向き直り、遙か地平線に鋭く目を懲らす。黒い点のような固まりが見えた。 「?」 尋常ではないが、バルバは近付き来る飛空挺に気付いた。 (……――あれは――!?) 見る間に近づいてくる。 あまりにウィムの背中が真剣なので、セレスもウィムの眺める方向に目を向けた。ウィムはセレスが隣にいることさえ無視して不乱にその黒い物体を見つめていた。眺めているなんてもんじゃない。眉間に一筋皺を刻む表情は、鬼気迫るものさえ感じる。 さすがにセレスでも船体を確認できる頃には、ウィムの態度の豹変の理由が分かった。 真っ黒な船体、なびく旗は死神の鎌――。 飛空挺がステライア空賊船で在ることは間違えない。 ステライア空賊団の行く手……では、例外なくその飽くなき家業が営まれる。 悪夢と言っていい。 ウィムとセレスが乗る貨物船に大きな陰がのしかかる。 やはり、例外なく空賊船はこの貨物船を見逃してはくれなかった。 ウィムは奥歯を噛んだ。 セレスは縋るようにウィムのコートを握った。 宙に浮く船体から視線を外すことなく、ウィムはコートを握りしめた手をとり、セレスを自分の背後に庇った。 こうなってしまったら、今まで考えていたことなど些細なことだ。セレスには今頼れるのはこの広い背のウィムしかいない。 セレスは彼の背後に隠れ、天に祈るしかなかった。 <了> 第一章第二節 第三節へ続く |
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