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空のごとく海のごとく
第二章 明かされる真実を胸に
第三節 訪問者 肘掛けにカツカツと忙しなく指を打ち鳴らして、ダレス・ロダリオは座っていた。今にもにんまりしそうな顔は頬が痙攣している。どことなく笑みを消しきれない。 ――――報告いたします。ミロードが行方不明になった模様です。 この報告があったのは昨日のことだ。 ダレスにとって待ちに待った報告。天にも昇る思いでその朗報を聞いた。そして、いてもたってもいられなく、この通り甥っ子の本拠地に乗り込んできたのだ。 耐えることの苦手なダレスが耐えに耐え抜いて手にした機会だ。 (――手ぐすね引いて追い落としてやる!!) 「…………」 自然と口許が綻ぶダレスは案内された居間をぐるりと見回した。自分のいた頃とさほど変わらない内装――――。 幼き頃、これ全てが自分のものになると思っていた。長兄のガッシュが死んだ時、野心のない次兄は快くダレスが家を継ぐことを承知するはずだった。そう思って疑わなかった。しかし、当主となりM(Myroad)の称号を戴いたのは次兄のガウィダントだ。ダレスは引き続き二番目の地位のY(Yourroad)に納まることとなった。はっきり言って、当主の命令は絶対のロダリオ一族ではこの差は大きい。まして、次の世代に移ってしまえばこの二つの称号も移行して、何の権力も握れなくなるのだ。 そんなことが我慢できるダレスではない。 ダレスは常にガウィダントの失脚を謀り、虎視眈々とその座を狙ってきた。それでもあまり仕掛けなかったのはガウィダントが十数社の会社社長をダレスに任せていたからだ。だからこそ、その地位で甘んじていてやったものを……!! 世代交代は疾風のごとく突然やってきた。 ダレスが何か策を講じる前にガウィダント失踪事件は勃発したのだ。それは一族内に波紋を投げかけ、あっという間にその息子のバルバが継ぐことに決定していた。それからが最悪だった。甥っ子の就任直後、ダレスはへんぴな土地の不動産取締役部長に降格させられたのだ。Yの称号の消滅と共に社長の座を降りねばならないのはロダリオ財閥の伝統であり当然のことだが、普通仕切っていた会社そのままで降格するのが常のはずなのに……!! (あの……子童め……!!) 思い出せば出すほど腸が煮えくり返ってくる。 臍をかんだ苦い経験に輪をかけたのは鼻持ちならないガウィダントの倅だ。 ――――叔父上、申し訳ありませんが異動して頂きます。 バルバはしゃあしゃあと言いのけた。 その辞令は請け負っていた全ての会社から手を引き、不動産業の、それも小規模な不動産の関連会社に移れというのだ。 ――――このまま、経営続けていくと倒産するのは目に見えてます。これだけの優良会社を倒産ぎりぎりまで追い込むなんて、なかなかの才能ですよ!! 目上を目上と思わない。尊敬の一欠片もない。資料、分析結果をダレスに見せつけ、悪びれなく笑って言いのける。 ――――多少のことでしたら、目を瞑ってもいいんですがね。これは頂けませんよ。僕が遊んで寝て怠けていても、安泰な経営が僕の理想です。少しぐらい私腹を肥やすのは構いませんが、従業員を徒党に迷わすわけにいけませんし、それには叔父上はマイナス要素が大きすぎます。ですから、退陣願います。 調査書が歪んだ。破けるほどに手に力が籠もっていた。資料内容はダレスを退陣に向かわせるには十分な証拠と内容で言い返す余地は、ない。だから余計口惜しい。一体バルバはいつの間に調べたのだろうか。 猫を被っているようで、被っていないそこそこ一八歳の甥は父親のガウィダントそっくりだった。 やむなく従わざるを得なかったので、ダレスは子会社に移った。ロダリオ財閥の中でも中規模の会社で決して条件の悪い会社ではない。だが、やはりダレスが納得のいくものでは当然ない。しかし、バルバに文句をつけるどころか、皮肉なことにそれから一年後にはダレスが去った会社は優良企業に再度成長していた。その手腕を持って企業を立て直し、反対勢力を黙らせてしまった。 こうなってしまってはどうしようもない。それからはダレスの辛抱に辛抱を重ねる日々が始まった。抜け目なくバルバの身辺を探るスパイや刺客を放ち続けてきた。無論、そんなことで仕留められるほどバルバは容易な相手ではない。 だから、ここ最近では、同時にバルバを失脚させる計画を立てて、待ちかまえる準備もしてきた。 そして、とうとうその機会を掴んだ。あれから五年待った。バルバをネタにはめ、失脚させるまたとない機会。 ダレスはほくそ笑まずにはいられない。 「この館は客人に茶も出さないのか?」 気持ち悪いほど機嫌良くダレスは自分以外誰もいない部屋の中で大声を張り上げた。別に誰かが聞き止めてお茶をもらいたいわけではない。単に嫌みが言いたいだけなのだ。この屋敷の主の。 「申し訳ありません。今すぐお持ちいたしますので少々お待ちください。皆夕餉の仕度で忙しいのでしょう。何分突然の来訪でしたのでご容赦ください。ダレス様」 「…………」 「もし宜しければ夕食をご一緒いたしませんか」 抑揚のないどこか機械じみた調子は感情がない。テーブルを挟んで目の前に座ったこの声の主は表情にも感情がない。まるで能面を被っているようだ。 「結構。ビルダード。バルバのところに案内しなさい」 「…………」 否と言わせない強い口調でダレスはウィリアム・ビルダードに命じた。 ウィリアムは命令など何のその。ダレスの目から視線を逸らさず沈黙を守っていた。 ダレスにとってはこの間が耐えられない。喉からでかかっていて、今にも吠えたい。これが自分の部下なら今頃、怒鳴りつけている。それでも、グッと堪えるのは、これがどうしたことか、この青年には通用しないからだ。彼は決してダレスの命令に従わない。従うのはバルバ・ロダリオその人だけである。 ウィリアムの態度はダレスを馬鹿にしているかのように見える。 「早くしないか!!」 やはり、切れたとのはダレスだった。 その直後だったか、瞬きほどの一瞬だけウィリアムの表情が変化した。感情のない空色の瞳がほんのりと暗い光を灯して、本当に一瞬だけ嗤った。 ダレスは案の定、感に障る。一瞬の表情を見逃さなかった人間は誰でもそう思うに違いない。 もしかすると甥っ子のバルバ以上にこの男を嫌いかもしれない。 「ダレス様。使用人達も申しました通り、『ミロード』はお疲れのご様子。ご案内できません」 ウィリアムはあえてバルバのセカンドネームで呼ぶ。わざとミロードを強調させて、あくまでバルバに絶対の権力があるのだと主張する。間違っても目の前の豚――ダレスではない。 「わしは風邪だと聞いた。風邪ごときで面会謝絶だと? 笑わせるな。今すぐ『バルバ』をここに連れてこい!!」 ダレスはバルバが会長であることを微塵も認めない。死んでも認める気はないし、勿論格下の相手に礼儀を払うつもりもない。 「…………」 「出来なければ百歩譲ってこのわし自らが会いに行こうといっているのだ。分からんのか!!」 それとも――、と嘲笑を浮かべた。 「バルバの奴め。わしが来て逃げ出したか?」 これにはさすがのウィリアムも眉根を寄せた。 黙って聞いていれば、何を言い出すか!! 仮にも穏和だったウィリアムの態度が一変した。研ぎ澄まされた瞳は冷たくダレスを眺め、より一層無表情と化した。 「ミロードが逃げる? あなたから? 何故逃げねばならないというのですか」 こんなネズミにも劣る相手に。 「その胸に手を当てて聞いてみるがいい」 すかさず言い返した。もしウィリアムがバルバの立場なら追放していただろう。この場に残れるのはバルバ様の恩恵に他ならないというのに。 「あなたもミロードを舐めすぎているのではありませんか?」 ウィリアムはふんぞり返り、足を組み替えた。 「ミロードの命令は絶対――それがこのロダリオ財閥、強いては一族の掟であることもお忘れのようだ。その頂点に立つミロードが何故あなたを恐れなければならないのですか。あなたの財産、地位、全てがミロードに握られているのですよ。そのような口を利くのは利口とは言えません。もっとも部外者たる私に説教されるとは、論外ですがね」 「ふん。何とでも言うがいい」 今日のダレスはひと味違う。余裕がある。切り札を持ち合わせているのはウィリアムではなく、このダレス様だ。 「わしはバルバがミロードなど思ったこともなければ、認めてもおらん。誰がなんと言おうが、このわしは認めん!!」 ガウィダントの小倅に何故負けなければならないのか!? 欲しいものを掴み損なってきたのは、自分が悪いわけではない。単に運がなかっただけだ。 「それでも、ミロードはあなたではない。あなたにはパンドラの箱を開けられない」 ウィリアムの言葉に、水を打ったように静まり返った。 ダレスにとってそれが最大にして、最強の覆しがたい真実だ。 「よろしければ、箱をお持ちいたしますよ」 慇懃な微笑をわざとらしく作ってみせた。滅多に表情を出さないあの彼が。 その箱を開けられるのはこの世に一人、ミロード、その人だけだ。誰でも開けることの出来るものではない。資質備えたものにしか開けない。 「――――……」 ダレスの顔が見る間に赤くなった。 ドンキホーテには鏡を見せてやる必要がある。 「そのような簡単な事実を確認にいらっしゃったのならば、ミロードに会うまでもなく、私めが相談に乗りましょう。簡単に引導を渡してあげますよ」 滑稽な自分の姿を見るがいい――――。 侮辱されて一段と強く握った拳がぶるぶると震えている。 「ミロードにお手数をかけるまでもありませんね」 止めの一撃だ。 ウィリアムはダレスの扱いを熟知していた。 「たかだか……執事の分際で!!」 ウィリアムにとって痛くも痒くもない。 「事実を申しましただけです」 いつもならここでダレスがとてつもない癇癪を起こし、捨て台詞を残して去るのだが、 今日は癇癪を堪えた。ダレスは自分に言い聞かせる。 (――切り札は――……、こちらにある!!) 思わず立ち上がってしまったダレスは椅子に座り直し、コーヒーカップに一口手をつけた。ウィリアムは内心瞠目した。 「そこまで、わしを虚仮にするならば、もういい。折角、力になってやろうと思っていたが、そうはするまい。バルバに伝えなさい。緊急取締役会を三日後に開かれることが決定した。覚悟していろ、とな」 「…………」 ダレスはウィリアムを一瞥して、返答を待たずして席を立った。もうその顔に笑みは、ない。代わりに残忍な面が貼り付いている。 それでも、ウィリアムは動じない。それどころか――――。 「ダレス様。いつもの部屋を用意してあります。食事はいつお持ちいたしましょうか」 堂々と尋ねた。執事らしく背筋を伸ばして立っていた。何事もなかったかのような、普段の感情のない表情に戻っている。 なんて憎らしいことか!! ノブを握ろうとした手が止まる。 「あとで召使いをよこせ!」 扉が開かれた。 「畏まりました」 ウィリアムが恭しくも礼儀正しく一礼するのをダレスは背中で確かめ、応接間を後にした。 <続> |
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