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空のごとく海のごとく
第三章 風は嵐となりて
第一節 目的
「やっと着いた――……」 バルバは壁に凭れて、肩で息をしていた。なまじ空気があるといっても、あの早さでは吸うのも困難だ。そして、あの圧迫感……。胸に手をやり仰のいた。気道が確保されて新鮮な空気が押し寄せる。 辿り着けたという安堵感で今はいっぱいだった。 「まさかこの力が役に立つなんて考えもしなかったな……」 深海底とは思えないほど明るい。まるで窓枠から差し込む太陽の光を浴びているようだ。 重い瞼を持ち上げ、軋む腰を上げた。洞窟の奥へと向かう。だが、数歩歩いて止まった。 行く方向を見つめてげんなりして、足下を見つめてしまう。思った以上に疲労が込み上げてくる。いくら水の守護を受けていたからといって全てから守られていたわけではない。大気圧から自分を支えるには考えていた以上に体力が必要であり、筋肉が悲鳴を上げることになった。 バルバでさえこんな状態なのだ。セレスの体力ではここまで辿り着けないだろう。空賊船に残してきて正解である。最も天空石を宿すセレスが深海の聖域には入れない。 「ここから……、一番奥までかなり距離あんだよな――……」 のろのろと顔を上げて奥を見つめた。 洞窟の壁は障壁画となっていて、女神にまつわる伝承が絵巻のごとく描かれている。 それを眺める余裕もなく、ひたすらふらつきながら前進する。 「…………」 奥へ進めば進むほど、段々と光は眩しくなり、目も開けられなくなってきた。見渡せば辺り一面に装飾という装飾はなくなり岩肌が丸出しになっている。前方中央は淡い真珠色の光でアーチ型に塗りつぶされていた。その両脇を龍に象られた二つの岩石が固めている。 「変わんないよな――……」 彫刻の龍を見てバルバはにへらと笑った。 彫像のごとく佇むその龍は水分でできたような潤んだ瞳をバルバに向けていた。厳格な眼差しだ。 『久しいな。我が主よ』 どこからともなく声が響いた。左の彫刻龍の眼が蒼く明滅している。 『何故……参った?』 今度は右の彫刻龍の眼が紅く明滅した。 『二度と来ないと言っていたのではないか?』 意地悪い言葉を紡ぐのは紅龍のほうだ。 「そのつもりだったんだけどね。予定が変わった」 『予定が変わったとな? 来ないなど無理な宣言をするから変わるのだ』 バルバはボリボリと頭を掻いた。どうやら紅龍は虫の居所が悪いようだ。 『これこれ、我らが主にそのような口を利くでない』 蒼龍が窘めると、 『此度の主はどうも自覚が足りぬ上に我らが女神に振り返らぬ傾向甚だ以て著しいが、初代以来、我らが望んできた全てを兼ね備えた主よ。我慢せねばなるまいて』 「おいおい……。それ誉めてんの? 貶してんの?」 『無論、誉めている』 「あっそ」 バルバは欠伸をしながら相槌を打つと真珠色に輝く壁に手をやった。 『なんだ!? その態度は!!』 「中に入りたいんだ。開けてくれない?」 紅龍の発言はもっともだが、バルバは無視して蒼龍に話す。 『仰せのままに。どのような主でも主の願いを叶えるが我らの仕事』 『…………』 より一層真珠色に輝いた。壁が解けてしまったかのように掻き消え、バルバは中に進んだ。 眼を開くと今までと打って変わって薄暗い空間になっていた。中央玉座を取り囲んだ人魚が片手ずつ伸ばして玉差の上の小箱を支えている。 父のガウィダントが失踪する直前に彼によって連れてこられた時と何も変わらない。 「紅龍じゃないけど、ほんと来ることになるとはな――……」 バルバは玉座に近づいた。 その玉座は深海の女神のために用意されたものだ。その上に乗るのは女神の化身――深海石のはず……。 ――――バルバ。これを持ってみなさい。 初めてこの地に訪れた時、ガウィダントは目の前の小箱を取ってバルバの手の平に乗せた。 ――――開けてみなさい。 人が決して行けないような神秘的な深海だは、その洞窟は人の世のモノではないように明るいは、障壁は見事だは、挙げ句に彫刻の龍が話すはで、興奮していた矢先に箱を手渡されたから、思わず言われるがままに開けてしまった。 「…………」 あの後の親父の満面の笑みといったら――…… ――――これで今日からおまえがロダリオ財閥会長だ!! 後はよろしく。 ぽんぽんと肩を叩くと先にさっさと帰ってしまった。後に取り残されたバルバはというと――、文字通り後の祭りだ。開けた箱は、遙か昔は神封の小箱と言われ今日ではパンドラの箱と呼ばれるそれだった。ロダリオ家の当主つまり財閥の会長にしか開けられないという代物だ。試しに持ち帰って叔父のダレスに開けたら会長の座を譲るといって渡したが、ビクとも動かなかったし壊れなかった。 バルバは手に取った。 この小さな宝石箱に収められてあるのは――、言うまでもなく――……。 「…………」 ――深海石のはずだが……、中身は空っぽだ。入っているはずのものが入っていない。逆さにしてみると一枚の羊皮紙が落ちた。 拾って広げてみる。 その内容は――……。 『愛する息子――バルバへ 元気してるか? ちょっくら借りるから 愛しの父より』 (やっぱりな……。こんなこったろうと思ったよ) バルバは口端を痙攣させて、引きつった笑顔を箱の中に仕舞った。 「さて、どうするか――……」 親父の行き先はウィリアムに任せてあるからいいとして、一体何のためにここまで来たのだろうか。深海石がここにないのであれば意味がない。長居は無用だ。 くるりと踵を返して真珠色に輝くゲートに向かう。 今、戻ればセレスが屋敷に到着するのに間に合うかもしれない。 「!?」 さっきと同じようにそれに触れた時だった。 ガクリとその場で跪いた。思わず両手で自分の身体を抱える。 一体どうしたことか――? 触れた途端に力が吸われたような感触がした。こんなことは初めてだ。 『無理せぬほうがよろしいぞ。我が主人』 顔を上げると壁は真珠色の半透明な膜に変わっていて、蒼龍と紅龍の潤んだ瞳だけが振り返っていた。 「どういうことだ?」 『そなたは力を行使しすぎた』 答えたのは紅龍だ。 『人間なるものが扱うことは出来ぬ力。元来人間には強大すぎる力――生命をも奪い兼ねぬもの』 厳かに響く宣告――。 何か眠気が襲ってくる。 『しばし休むと良い――……』 「そうは言われてもこっちにも都合ってもんがあ、る……――んだよ」 壁にもたれ崩れ落ちる。 確かに二日間徹夜をした後の力の行使。肉体的にも精神的にも考えていた以上に限界を超えていたみたいだ。どうやら無理をしすぎたらしい。 バルバはふっと嗤った。 (確かに地上云百メートルから落下して海底一万メートルってありえないよな……) 急速に襲い来る睡魔と格闘しながら、なんとか言葉を紡ぎ出す。 「覇者の名、の下に、出でよ 我が僕――……」 バルバの目の前は金色の輝きを放つ粒子が収縮し生物の形を象っていく。手の平サイズの金色の竜の落とし子――シー・ホースだ。 「屋敷に銀髪の男と共にやって来るだろう少女――金の髪にオレンジの瞳の少女――セレスティ・アラインを引き留めておくように――……」 非常に良く通る声でバルバはシー・ホースに命じた。 「我が言葉……、ウィリアム・ビルダードに伝えよ」 最後に大きく息を吸い込んだ。人差し指で出口を指す。 「行け!」 シー・ホースはまるで幽霊のように音もなくゆっくりと出口に向かっていった。 『おや、まー。我が主人は残る力も使ってしまったよ』 紅龍が嘲笑う。 『しばしの休息を。我が主人――』 蒼龍が優しく囁きかける。 「――――……」 虚ろな瞳を一瞬上げた。 (ウィリ――……。後は頼んだぞ) ぼやける視界。抗うのも限界で、 (セレス――……。――無事でいてくれ――……) 瞼を閉じ暗幕が降りると――、混沌と闇に落ちた。思い浮かぶのは、セレスの不安そうな、今にも泣き出しそうな顔だった。 <続> |
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