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沈む夕陽

第三章 怨恨


「もって二日が限界だ」
「…………」

 勿論、あの親玉が活性化しないという条件付きで。
 景虎は静かに報告を聞いている。きっと予想の内なのだろう。
 今はあの場所から離れ、弥作の家の裏庭――竹林にいた。
 催眠暗示も結界もやったが、あの後またしても長秀は視野を奪われた。視力が戻ったのは浄光が差した一瞬のことだったらしい。どうやら鎮めても鎮めきれない霊が念の塊――あの土地から吹き溜まる念に影響してそういう現象を起こしているらしい。
 あの場所から抜け出すのも一苦労だった。
 長秀は考えを改めた。景虎が自分を呼んだ理由を理解した。
 この件に関われるのは景虎と自分だけだ。
 直江や色部、晴家では景虎に負担をかけずに霊波同調することができない。長秀以外足手纏いになるだけだ。

「……そろそろ説明したらどうだ」
「…………」

 腕を組んで長秀は若竹に背を預けた。
 景虎は土を竹で塞き止めできた段に腰を下ろす。

「察しているだろうが、あれは日本人の霊ではない」
「…………」
「朝鮮の民の霊だ」

 霊達がとる姿形は日本の鎧姿ではなく、見知らぬ民族衣装。
 そういう御霊を見るのは初めてではない。

「ここに来てからそろそろ三月になるか…」

 半年前に直江を宿体の肉親の元に置いて流浪の旅に出た景虎。この土地に三ヶ月前に辿り着いた。
 その時はもっと酷い霊現象だったと言う。

「一つ一つの怨霊が凶悪かつ強力な上に付喪神が主流でな。村人から引き剥がすのに二月かかった、今は結界を張ってあの霊気を村から遮断している」

 剥がしても剥がしても付喪神に再度憑かれてる村人たち。景虎もその治療に手間取り、とうとうこの村の主治医的存在になってしまったという。
それから本格的に原因の調査を開始し、片っ端から調伏して辿り着いたのがあの場所だ。

「兎に角、村の外は全て先に行った場所の状態で片付け整理するのについこの間までかかってな」

 景虎は大きく嘆息した。

「原因を突き止めたのはいいが生き霊では、調伏もできんしな…」

 とりあえず鎮めることにした。それで事態が収まれば良かったのだが……。

「……得体の知れない霊だな。朝鮮征伐で大陸に渡ったのは、かれこれ百年前になるぜ」

 朝鮮征伐――豊臣秀吉が朝鮮へと侵攻した、今で言う朝鮮出兵のことである。秀吉は文禄元年と慶長二年に朝鮮へと出兵した。悲惨な戦であったと聞くに及ぶ。その時の怨霊が日本にいても不思議ではない。塩漬けで持ち帰った耳や鼻がこの日本にあるのだから。
 しかし、その当時の被害者が今時、約百年を経過した元禄時代に生きているのだろうか――?

「良くは分からないが、当時幼子なら生きている可能性もある」
「それにしちゃ、長生きだな」
「…………。今でも向こうでは子々孫々と壬辰倭乱として忌むべきもの、その恨みが語り継がれていると聞き及ぶ」
「…………」
「被害に遭った者の子や孫かもしれないな」
 景虎は大きく嘆息した。
「それに――……身体と魂がああも長く離れているとなると――」
「呪詛の可能性もあるな」

 だから、余計にいろいろな霊的存在が集まってくるのかもしれない。

 ――……事は深刻だ。

 海を越える程までに人の恨み――民族の恨みとは大きいものなのか。
 景虎は頭を振った。驚嘆するほかない。

「……あらかたの耳塚は片付けたんじゃないのか?」

 そう長秀の言うとおり原因は耳塚という土地柄とあの生き霊。耳塚は武将達が朝鮮から持ち返った朝鮮民族の身体の一部が埋め供養している場所の事である。
 約五十年前ぐらいにその付喪神の現象を引き起こす。耳塚を片っ端から片付けていった経緯がある。
 ここの耳塚は供養もされずにいたのか。いや、違う忘れ去られてしまった耳塚だ。

「そのつもりだったんだが……、見落としがあったらしいな。……惨いことだな」

 誰しも肉体に愛着を持っている。それを無理矢理剥がされるのだ。堪らない。得てして怨霊は死の間際の一念で生まれると言っても過言ではない。
 日の本から出る武将は朝鮮国の民の生命を取らずとも、それ以上に後世に残る渦恨を残してきた。
 自分達もかつて武将だったから――いや、今でも心根はそうだから。
 主君の為ならば――……。
 長秀は空を仰いだ。

 ――……誇大妄想な非現実的なことに関しても荷担していたかもしれない。

 さらさらと擦れる葉音。

「――そういう時代だったのさ……」

 それだけ長秀は告げた。
 慰めにもならない言葉。分かってる。だが、そう言う他ないではないか。

「長秀」

 景虎が真っ直ぐと見つめてくる。それを承けて、

「力業でいくか……」

 景虎はこくりと領く。
 呪詛を破るにしても何にしてもあの生き霊を本体に戻せば、何とか収拾がつく。
 無論、長秀を呼んだ時点で最初からそのつもりだ。
 でなければ、この俺様を呼ぶはずがない。

「あーあ、面倒臭ぇが、やるしかねぇか」

 長秀はしかと二本の足で立つ。

「明日は大変な一日になるな」

 景虎は感情を押し隠してごちた。
 全くだ。

「どこに行くのだ?」

 長秀は歩き始めたので、景虎が背後から怪訝に訪ねてくる。

「…………」

 こいつは何を言ってるんだか。

「決まってんだろ。お千代のとこだ」

 にやりと笑う。

「あれは将来美人になるぜ」
「――……。長秀……」
「なんだ」

 景虎は目を丸くして、それから自然と苦笑いを浮かべた。

「今から手を出すなよ」
「――――」

 冗談。まだ物心ついていない幼子を手込めにする趣味はない。
 しかし、長秀は曖昧に笑んでみせるだけだ。

「『今』からは、な」

 どこ吹く風である。
 景虎を一人残して、さっそうと行く。
 景虎は頬杖をついて長秀の後ろ姿を見守る。
 お千代の笑顔と童子たちの態度を思い出し――、

「子は正直だな」

 と景虎は呟いた。
 詰まるところその意味するところは――……。

      ※

 長秀その時は――……。
 軽く嚔をして、

(――『今』から手を出すなよ、か)

 以前の彼なら怒って説教をしだすところだ。あの景虎も丸くなったものだな。
 百年の歳月は人を変化させるのに十分らしい。
 この分なら近々、一緒に遊郭に行くのも夢ではないかも……、

「…………」

 想像して長秀は微苦笑った。

「――……無理か」

 気分は陽々。足取り軽くお千代のところへ向かう、

 ――安田長秀であった。

続 第四章 忘却


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