沈む夕陽
第四章 忘却 ――次の日。 あの例の場所へと二人は訪れていた。 「んじゃ、始めますか」 なんとか昨日張った結界は維持されたようだ。 しかし、親玉の生き霊ははち切れんばかりに活性化している。 丹田に力込め、《力》を蓄える。 「算段は打ち合わせのとおり――」 「――ああ。視えなかろうが、この霊気なら解るぜ」 「……抜かるなよ」 「愚問」 長秀が力づくで親玉を攻略して、視力を奪われない景虎がその親玉に引き寄せられてくる怨霊その他諸々を叩く。 どちらも力技の勝負だ。 景虎の手には毘沙門刀が握られている。 とうとう親玉の生き霊が唸りを上げた。 結界が破れる。 それが戦闘開始の合図だ!! ※ 「こんなのってありかよ!?」 景虎と長秀は背中を合わせた。 二人とも肩で息をしている。どちらもかなりの消耗だ。 「文句を言うな。やれると言ったのは長秀、おまえだ」 「…………ッ」 「代わってやってもいいんだぞ」 景虎も容赦ない。 無論、言ったからにはやらなければならない。 「オレの足手纏いになるなら、さっさと去ね」 容赦なく畳み掛けてくる景虎をきっと睨みつけたいところだが、その余裕もない。 「冗談! まだまだこれからだぁっつうんだ!!」 言うと同時に長秀は跳躍した。 景虎が長秀を狙う怨霊から護身波で長秀を守り、怨霊を片っ端から、切る! 切った数――千を越えたか……。 そんなに多く怨霊がいたかというと、無論、いない。……――最初は。 では、どうやって増えたかというと、その絡繰りは――。 長秀が《力》を打ち込む。 攻撃された親玉は反撃に出る。 すると――周囲に散らばっている付喪神的念が呼応して……。 一仕事終えた景虎が嘆息して、きっとその念を睨みつける。 念から怨霊が数体出現していた……。 「長秀〜!!なんとかしろ!!」 「言われなくたってやってる!!」 景虎も無限に出てくる怨霊に《力》をぶつけてまずは吹っ飛ばす。 出てこないように怨霊の発生源を叩いてみたものの、どろりとした念は二つに分かれて、発生源が二つになってしまう……。 これでは元の木阿弥だ。 兎にも角にも長秀のほうをなんとかしなければ、止まらない。しかし、景虎も長秀を助ける余裕がないし、言葉と裏腹に助けるつもりなど端からない。景虎もそれが長秀にとっていらぬ世話であり、矜持を傷付けると周知である。 なにより彼を呼び出した景虎自身の誇りにかけてそれを許さなかった。 (一体どうなってんだ!?) 内心長秀は毒ついた。どうにかして生き霊の《力》を削がないと。 徴伏鞭も利用したが、はね返されてしまった。徴伏矢も辿り着く前に消滅した。念波をぶつけても駄目、辿り着く前にやはり消滅してしまう。 兎も角親玉に《力》が辿り着かなければ話にならない。 それに一つ引っ掛かることがある。何故蛆虫のごとく怨霊が湧き出てくるのか。 本当にあれは怨霊か――? いや、怨霊に間違いない。それは景虎の毘沙門刀が証明している。 ――疑う余地は、ない。 しかし――……。 本当にあの怨霊の発生源は朝鮮からの出口になって怨霊が吹き出しているのか? そんなこと可能なのか……? 不可能ならば――……、 どこから――? 「!?」 長秀の手が親玉の生き霊に僅かに触れた。瞬間吹っ飛ばされる。 長秀を受け止めたのは景虎だ。 「大丈夫か?」 切れた唇から血が流れる。 景虎の腕を乱暴に払いのけ、長秀は立ち上がった。 「…………」 今の一撃でまたも怨霊が増え、取り囲まれた。しかし、見えない長秀には関係ない。 長秀は腕を擦り付けるような仕草で口許の血を拭う。射竦める視線の先に生き霊が在る。 「景虎」 「…………」 「待たせたな。絡繰りが分かったぜ」 「随分かかったな」 「ふん、悪いがお疲れのところもう一働きしてもらうぜ」 「――……オレに何をしろと?」 「……後始末だ。俺があの生き霊を追い返した後の」 「それは迷惑な話だな」 しかし、その目は既に引き受けると書いた覚悟の眼だ。 「そう言うな。これは予想だが、あの生き霊の中は今まで調伏した二倍近くの怨霊がいる」 長秀は構える。 景虎が長秀の前に立ち塞がる怨念を吹っ飛ばした。 ――それが合図だ。 「俺が全部吐き出させてやる!!」 長秀は地を蹴って走り込む。 もう生き霊しか長秀の心眼は見ていなかった。 ずぶりと生き霊の中に強力な催眠暗示をかける要領で手を割り込ませた。 案の定生き霊は抵抗してくるが、長秀も退かない。退いてたまるか。 これが長秀に与えられた最後の機会かもしれない。 内部に届いた手に《力》を溜め込む。 長秀が吠えた! 「今、楽にしてやる!」 ありったけの《力》が掌から解放される。毘沙門天の加護を受けたその《力》が! 「自分の身体に返りやがれ!!」 大爆発にも似た現象が起きて、怨霊が洪水のごとく吹き出し、逆に生き霊は風船のごとくみるみると萎んでいく。そして、像を結べないくらいに弱体した生き霊はふっと消滅した。 元あるべき場所に戻ったのだ。 それを見届けた景虎はすかさず、結界を張りにかかった。 怨霊立ち込める暗雲に景虎の深紅の気光が縦横無尽に走る。 やがて、一つの半球型の結界が構築された。 「…………」 結界の完成を肌で感じ取った長秀は振り返った。 「のうまくさんまんだ ぼだなん ばいしらまんだや そわか!」 すでに景虎の気炎はある尊像の姿を結ぼうとしている。 「阿梨 那梨 菟那梨 阿那廬 那履 拘那履!」 魂の奥深くで結び付いた毘沙門天の力。沸騰する感覚に突き動かされて長秀は立ち上がる。使い果たして《力》はほとんど残っていないが、されど結界を支える程度なら――……。印を結び長秀も唱えた。 「魔怨粉砕、怨敵降伏! 南無刀八毘沙門天!」 ――……来臨!! 景虎の前方――地面に突き立つ毘沙門刀が発光して消失する。 毘沙門天の化身たる毘沙門刀はその尊天の姿を成し、来臨した。 「これより結界調伏法を執り行う」 景虎の毅然とした声音が響く。 「被法霊は、李氏朝鮮の民をはじめとする朝鮮征伐にまつわる天多なる霊魂郡!」 高らかと宣言する。 「我ら六道の夜叉なり。魂魄一切、清き義に一切を尽くさんことを誓す――……」 かっと見開く双眸は強大な力の片鱗たる光を宿す。 誰よりも純粋で強固な瞳。 ――宿る力! 「南無刀八毘沙門天! 悪鬼征伐、我に御力を与えたまえ!!」 景虎の手に真白き光が生まれる。毘沙門天はその膨大な被法霊の数に合わせて、毘沙門刀ではなく光の形をなして景虎の手に収まった。光包調伏のそれだ。 「……――《調伏》!」 その言葉と共に景虎の手から真白き光が膨張して怨霊たちを飲み込んでいく。 全てを飲み込み――、 「――……」 ――消えて行く……。 後に残されたのは長秀と景虎の二人。 恍惚と調伏力を解放した景虎はその虚脱感から崩れ落ちる。 結界調伏法は景虎のみが扱える調伏法であり、調伏方法の中で最も強力かつ危険度が高い――負担者の体力を奪う調伏法だ。 「――やったか……」 「…………」 ゆっくりと長秀は彼に近付く。いつもながら文句を言えない底力をまざまざと見せ付けられ複雑な想念にかられる。 今回もやはり彼の判断は正しかった。 消耗しきった彼に自分が与えられる言葉は、一つだ。 「……。立てるか」 景虎は長秀風情に情けを掛けられるなど、言語道断だと思っているに違いない。失態を見せたくないのも百も承知だ。 「――ああ……」 喘鳴する景虎は最初長秀を睨みつけてきたが、無理矢理にでもその口許に笑みを作った。 けれど、一向に立ち上がろうとしない。 無理もないだろう。きっと今、景虎の身体は意思に反して動こうとしないのだから。 長秀はそっぽを向いた。 意地悪なことを言っているのも分かっている。 嫉妬と憧憬――。 そんなのは分かっている。 長秀は髪を揉みくしゃに掻き上げて、景虎を見た。 意地でも一人で立とうとしている。 「…………」 頼み込んでくれば、少しは可愛いげがあるものを。 (仕方ねぇなー……) 長秀は一度だけ大きく嘆息して景虎に向き直った。 不思議そうに見てくる景虎。 やっぱりほっとけなねぇよな……。 不意に伸ばされた手。驚く景虎。 その反応を無視してその伸ばした手で、しかと彼の身体を支える。 「ほら行くぞ」 景虎は唖然とまだ、長秀を観ているようだが、当然無視だ。それから一歩を進みだした時、ようやく長秀から視線を外した。 「長秀」 「…………」 「一旦宿に戻ったら」 俯いた景虎は長秀に気付かれないように笑んで、 「お千代とともに――、――……ッ」 「?」 いきなりがくりと景虎の身体から力が抜け、長秀の肩に乗る重量が増す。 「!? おい、景虎? 景虎ぁッ!?」 長秀もさすがに慌てた。 景虎は眉間に皺を寄せ、苦しそうに目を細めている。 「おい!! どうした!?」 景虎にはその声が届いていない。 ――まだ、まだ駄目だ。あと少し。あと少しでいい!! 景虎はきつく目を閉じた。 ――保ってくれ……。失われることは知っている。だから、あと少し……――。 そこで意識は途絶えた。本能と理性の狭間にある本音――。闇に沈む意識の中、只ひたすら景虎は切に、願う。 ――次、……に、瞳を開く時……、願わくば――……んことを――。 おかしくなる。気が狂う。――前兆……。 欲っする時にある手。信じてはならないその手。自らを守るために遠ざけねばならないあの微笑。 (……それでももう一度、あの微笑を……――たい) 続 第五章 決断 |