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沈む夕陽

終章 顧念


 翌日――早朝。
 鞋を履き、笠を被って、荷を背負った。

「もう行かれるのですか……」

 そんなに急がなくても……と波揶の顔にはありありと書かれている。

「世話になったな。弥作、波揶、それに――」

 たっとお千代が母の足元から動いた。

「長秀、行っちゃいや」

 纏わりつくように長秀の衣を握るお千代。長秀を見つめる双眸は真剣そのものだ。
 ――あと一回り大きければなぁ、と残念に思う長秀。

「長秀」

 景虎が眼力だけで咎めてくる。考えていたことを読まれたか。
 しかし、そんなのは無論無視だ。無視。

「行っちゃやだよ〜」

 長秀はお千代を抱き上げた。

「そう言うな。また来るから」
「…………」

 長秀はそのまま戸をくぐる。
 お千代はまだ膨れ面だ。子供ながらにどこかその返事に確証がないことが分かるのだろう。

「今度はもっとお土産持ってきてやるからな」
「ほんと?」
「ああ、男に二言はない」

 お千代は小指を突き出す。その愛らしい指に長秀は自分の指を絡めた。そして、お千代を地面に下ろすと、母の元に駆けて行く。

「――。長秀」
 着流し姿の景虎がやってくる。

「何だ?」
「――……。いや、何でもない」

 何か言いたそうに口を開けたがつぐんでしまう。

「…………。ないなら行くぜ」
「ああ、達者でな。勝長殿によろしく伝えてくれ」
「またいつでも御越しくださいね。長秀様」

 長秀は波揶に微笑み返して道なりに歩み始める。その手をひらひらさせながら。

「景虎〜。せいぜい無様な死に方だけはするなよ〜」

 長秀なりの声援だ。
 景虎は長秀らしさに瞳を和ませ、

「その言葉そのままそっくり返すぞ。私がいないことを言い訳にするなよ」

 けッ、誰がするか。

 今生の別れになるかもしれないのに軽口を叩きあうのは如何にも長秀とのやり取りらしい。
 景虎たちは長秀の姿が見えなくなるまで、その場で見送った。
 そうして母屋へ皆が引き上げる中、景虎は長秀の消えた方向をまだ、見ている。

「……――波揶さん」

 中に入ろうとした波揶を引き留めた。

「はい」
「――医者を呼んでもらえぬか?」
「……かしこまりました」

 しばし波揶は景虎を見つめていたか。恭しくお辞儀をした。

      ※
 
 それから三日後。
 景虎も旅だった。
 長秀に弱味を見せたくなかった景虎は彼が去ってから医者に往診を頼んだ。

 ――普通の生活ができるのが不思議なくらいだ。

 と、医者は評した。
 笠を少し傾け、空をみる。ほんのり雲が湧いてきたか。

「…………」

 ――悪化することがあっても、これ以上治癒することはないでしょう。
 ――いつまで、見える?
 ――……安静にしていれば、――……今すぐにということは……ない、と。こればかりは個人さ故に……。
 ――…………。

 遅かれ早かれ完全な闇がやってくる。
 波揶たちはそんな景虎を引き留めたが、頑として断った。
 行かねばならないところがあるから、と言って。
 怨霊伏せから戦線を離脱――。

 ――……宿体を見限らないという自分の我が儘で。
 ――それが総大将として正しい判断だったか。

 だが、自分の信念を曲げてまで生きることは景虎にはできない。
 使命の名の元に百年。移りゆく歳月は大きい。
 夜叉衆各々がその生きる意義に転機を向かえようとしているのを、景虎は薄々感付いていた。

「…………」

 皆使命という枷に翻弄されている。本当は誰よりも戦線に立ち、仲間に人生の選択をさせてやりたい。

「――……不甲斐ないな」

 景虎は一人ごちた。

 ――……自分の生き方は正しいのだろうか。
 百年目にして輪廻のごとくやってくる疑問。
 考えても仕方ないと分かっているのに――……。
 歩みを止めた足を再び動かそうとした時――。

「!?」

 しまった!!
 気付くのに遅れた。
 お千代の村に行く道は一本道だが、一箇所山の地形に沿って曲がった道の外側が崖になっている。目が見えていれば、たいした危険な道でもない。だが、眼が余り見えてない上、考え事をしていた景虎は最も注意すべき場所で散漫だった。

「――――ッ」

 落ちると思った刹那、誰かが発止と景虎の手を掴んだ。

「こ、の、馬鹿ッ!!」

 ――安田長秀だ……!?

 引き上げられ急死に一生を得て、景虎は呆然と長秀を見た。

「――長秀、……おまえ三日前に立ったのではないか――?」
「ちっ、只でさえ見えてないんだから考えなしで歩くな!」
「…………」

 問いの答えになっていない。
 長秀は憮然と景虎を睨みつけた。

「ったく、これだから……」

 それだけ言うと立ち上がり、長秀は歩き出した。

「何してる。行くぜ」

 付いてくる気配がないことを察して長秀は立ち止まり、振り返る。

「――あ、ああ……」

 慌てて立ち上がりそちらへ向かう。

「たくっ、無様な死に方するなと言っただろ!」

 長秀はそっぽを向いて苛立たしくその髪を掻き上げた。

「少しでもその宿体で生きたいなら、もっと慎重になりやがれ!」
「…………」
「俺がたまたま通りかからなかったらどうする気だったんだ。たくっ」

 長秀は文句を吐き捨て舌打ちするばかりだ。
 ここは街道と村を結ぶ一本道。
 決して――、偶然であるはずがない。
 長秀は景虎が心配で待ち伏せしていたか、それとも途中から引き換えして来たかのどちらかだろう。
 そうでなければ、

 ――――こんな『偶然』あるはずが、ない。

「――……。長秀」

 景虎は長秀の肩に手を置き、その歩みを止めた。

「――何だ……?」

 景虎がそのような態度をすることも稀、笑みを隠そうとしない赤裸々な表情も稀。
 ばつが悪くドキリとしたが、長秀はなんでもない風を装う。

「――ありがとう」

 長秀はついと視線を外し空を仰いだ。
 景虎がそんな科白を言うなんて――、

「これから雷雨でも降らにゃ、――いいが」
「どういう意味だ」

 今度憮然とするのは景虎の番で。

「そのままさ」

 再び長秀は足取り軽く歩き出す。

「長秀」

 もう一度だけ景虎は長秀を呼び止めた。
 眼を細め振り返る長秀。
 あの時言いかけた――飲み込んでしまった言葉。今なら素直に言える。

「勝長殿を――……、勝長殿を。助けてやってくれ。俺の代わりができるのは長秀、お前だけだ」

 夜叉衆の中で景虎に次ぐ《力》の持ち主。

「…………」

 何を言い出すかと思えば――。

「ふん」

 言われるまでもない。
 長秀は景虎に背を向けた。

「とっつぁんは生前からの同僚だからな」

 きっと指を加えてなんて見ていられないだろう。

「頼んだぞ」

 それを肯定と受取り、景虎は長秀の肩をぽんと叩いて追い越す。

「? おい! 景虎!! そんなに急ぐと危ないぞ!」

 慌てて長秀が小走る。
 ほんの少し鬱陶しそうに、されど笑みを絶やさず景虎はさっそうと行く。

 ――これで良いのだ、と思える瞬間だった。

  <完> 沈む夕陽


あとがき
 書き終えてしまった……。
 全六章の制作を約一週間で制作終了。量が量なので、たつみ放心状態……。
 きっかけは邂逅編から百年ぐらいに、もし景虎様が視力を失う事があったら、誰を呼びつけるか? ていう疑問から始まりました。
 結果、長秀でしょう!!!!(おめでとう!! 当選です!!)
 と言う結論にたつみは辿り着きました。
 それをテーマに目標はキャラクターの性格設定。勿論、できる限り原作から離れないよう、
 つかみはok!! て感じにできるかが、たつみの一番の心配でした。
 何分こういった事をするのは初めてで。
 そして、キャラクターの性格設定の目標は

「景虎の中の高耶を表現=景虎と高耶の融合」
「長秀が千秋への変化」

 ……――どうだったでしょうか……?
 頑張ったには頑張ったんですが。
 うーん……。実りのない話の展開に……。

 実はこの物語は続きをたつみの中で想像されています。勿論、その視点は直江さんです。(←めっちゃ今回のけもんだったからなー)
もし、書く機会がございましたら、お会いしましょう。

2003年9月11日 管理人・たつみ れい


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