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仰木家シリーズ8 幸せになろう(後) 著・なぎ様(蜃気楼の館)
三月一日。
今日は城北高校の卒業式だ。
三年生は一月末の期末テストが終わってから自由登校となっていたため、ほとんど学校へ来ることはなかった。
久しぶりに学校の制服に身を包んで登校する高耶だったがその顔色は冴えない。
朝の冷たい空気に身が引き締まるどころか、歩くのすら億劫でこのまま卒業式などエスケープしてしまいたいほど。
しかしそれは高耶以外の城北高校3年3組の生徒全員も同じだった。
譲の提案では高耶の合格発表の翌日に合格祝い兼卒業祝いをする予定だったが、クラスメイトの都合がつかず、結局は卒業式の前日・・・つまり昨日クラスのほとんどが出席で卒業祝いをしたのだ。
昨日の午後三時から始まったそれは、塚田という男子生徒の家が経営しているカラオケボックスで行われ、飲めや歌えの大騒ぎ。
最初は聞き役専門だった高耶も引っ張り出され、カラオケのレパートリーは少ないものの数曲歌わされるハメになった。
ウーロン茶とその他の清涼飲料水でアルコールは皆無だったにも関わらずあのテンション。
ここでアルコールが入ったらどんなランチキ騒ぎになるのやら、と考えるのが恐ろしい。
「あー、頭いてっ」
十二時間耐久カラオケと化してしまった卒業&合格祝いは、最終的に残ったメンバーは十人ほど。
男子生徒は高耶と譲、それに千秋と矢崎と水野に塚田の六名。
女子生徒は森野紗織を筆頭に、紗織の友人の木村と中島と深田の四名。
最後には千秋と紗織がマイクを握って放さず、水野と矢崎が潰れてお開きになったのが午前三時近かった。
さすがに女の子をこんな時間に一人で帰らせるわけにはいかず、千秋のレパードで順に送り届けて高耶が自宅に戻ったのは午前四時を過ぎていた。
シャワーを浴びて漸く眠りについたと思ったら美弥に叩き起こされ、眠い目を擦りながら着替えを済ませて家を出たのだ。
「仰木くん、おはよ〜っ!」
後方からやけに元気な声が聞こえてきた。
嫌々振り返ると長い髪を二つに分けてみつ編にしている。
在学中の彼女のトレードマークのような髪型は高校生活最後の日にも健在のようだ。
「おまえ、無駄に元気だな」
早足で高耶に追いついてきた紗織に向かっての一言。
膝上丈のプリーツスカートから覗く足で紗織は高耶の足を蹴っ飛ばす。
「まずは最初に『おはよう』でしょうがっ!ったく、あんたと机を並べるのもこれで最後だってーのに、ほんっとに愛想ないんだから、仰木くんって」
「無愛想で悪かったな。生まれつきだ」
「少しは親友の成田くんを見習いなさいよ。あの天使のような笑顔。見る者すべてを癒してくれるって、あーゆー笑顔のことを言うのよねぇ」
うっとりと夢見心地な紗織に高耶は内心「けっ」と舌を出した。
彼女が譲に一目惚れをしたその日から、譲の親友という立場にある高耶はとてもじゃないが迷惑を被った。
好みのタイプから好きな食べ物、紗織の知りたいありとあらゆる情報を機関銃のように訊ねられ辟易したことを覚えている。
「そんなこたぁ、てめーで訊きやがれ!」と高耶が言うたびに「や〜ん、そんなこと訊いたら好きだって告白してるようなもんじゃない」と景気よく背中をどつかれたっけ。
紗織の譲に対する一挙一動が放出する「成田くん大好き」オーラを周囲の人間はびしばしと感じ取っていたのだが、悲しいかな当の本人である譲だけが気づいていなかったのだ。
あの鈍さはある意味尊敬に値する。
「今日限りで見納めだな、その天使の笑顔とかゆーやつも」
「ふふん。成田くんが歯科医師になって成田歯科医院に戻ってくる頃には、あたしも立派な歯科助手になってるんだもんね。そしたら毎日同じ職場で働いちゃうんだから。たま〜にしか会えない仰木くんより仲良くなっちゃってるかもね」
「夢は寝て見てろよな」
「乙女の夢を一言で砕くんじゃないわよっ!ったく、どうしてあんたみたいにデリカシーないないクンが成田くんの一番の友達なのかしら。世の中の奇跡よ、奇跡っ」
相変わらず言いたい放題だ。
彼女の罵詈雑言も今日で聞き納めかと思うと少しばかり寂しい気もするが、それ以上に開放される喜びの方が大きかったりする高耶。
あれこれと言い合いをしながら3年3組の教室へと到着した。
教室内ではすでに使い捨てカメラや携帯のカメラで写真を撮っている女子生徒がいる。
きゃっきゃとはしゃぎながら紗織も記念撮影大会に参加し始めた。
ほとんど眠っていないはずなのに、あのパワーはどこから沸いてくるのか不思議に思う。
「おはよう、高耶」
「おっす、バカ虎」
窓側の列の最後尾が高耶の机。
その前を譲が、高耶の右隣を千秋が陣取っている。
「別れたばっかだっつーのに、おはよーってのもバカみてーだなぁ」
「ばか者。挨拶は人間関係の基本だっつーの」
「うるせぇよ、バカ」
千秋の椅子の足を蹴っ飛ばし、高耶は自分の机の椅子を引いた。
「式が終わったら、みんなで写真撮ろうよ。俺、カメラ持ってきたんだよね」
譲はカバンから使い捨てカメラを取り出して笑った。
別に記念写真なんて、と思いはしたが譲はかなり乗り気で水を指すようなことを言えば何を言われるかわかったものではない。
ここは逆らわず言うことを聞いておいたほうがいいだろう。
やがて担任が教室に入ってきて騒ぎは一時中断となった。
挨拶と式の間の注意、式が終わってからの日程を告げられ、体育館への移動となる。
1組から8組までの生徒が出席番号順に体育館の入り口に並び、司会進行の先生の合図で吹奏楽部が入場の音楽を演奏し始めた。
去年までは譲もこの吹奏楽部の中にいて演奏をしていた。
懐かしそうに横目で演奏している後輩たちを見ながら歩いていく。
あんなにはしゃいでいた紗織はすでに涙目になっている。
高耶は出席番号が早いので彼らの姿は見えなかったが、高耶自身もこの三年間を思い出していた。
ちらりと父兄席を横目で見ると、予告通りスーツ姿の父親が椅子に座りこちらを見守っていた。
唇の端を少しだけ持ち上げて笑い高耶は前を向く。
卒業式は滞りなく終了した。
退場の後は各自の教室に戻り最後のhrを終えれば解散。
譲や千秋らとつるんで教室に戻る。
クラスの女子生徒の大半は大泣き状態。
二度と会えなくなるわけじゃないのに、卒業というものはどうしてこう人を感傷的にさせるのか。
教室へ戻ると担任から卒業アルバムは後日郵送されるとの最後の連絡があった。
教室内では再び記念写真の撮影が始まった。
廊下には下級生が何人か押しかけてきて、同じ部活だった生徒たちに一緒に写真を撮ってくださいと頼んでいる。
「な、成田くんっ!い、一緒に写真、とっ、撮らない??」
泣き腫らした目をした紗織が緊張に声を上擦らせる。
在学中何度となく告白のチャンスを逃し、本人曰く控えめで周囲の人間には判り過ぎるほど判っていた紗織の譲への思いは、異性としての好意にトコトン鈍い譲に肩透かしを食らってきたのだ。
卒業してしまえば簡単には会えない。
最後の最後で勇気を振り絞ったのであろう。
「写真?いいよ。じゃ、みんなで一緒に撮ろうか」
この期に及んで能天気な譲の声。
さすがに紗織が気の毒になって、高耶と千秋は彼女に助け舟を出す。
「ヤローと写真撮ったって楽しくも何ともないっしょ〜、成田ちゃん」
「オレがシャッター押してやるから、カメラ寄越せよ、森野」
紗織からカメラを受け取る。
千秋が譲の背中を押して紗織の方へ押しやった。
「シャッター押すぞ」
「ちょっと待て、仰木。森野さん、離れすぎ。もっと成田の方に寄って。フレームアウトしちゃうぜぇ?」
「ほら、森野さん」
緊張で固まっている紗織の腕を譲が引っ張る。
そういう無邪気な行動がどれだけ紗織の心臓に衝撃を与えているか、譲はまったくといって良いほど気付いていない。
(最後の最後まで気の毒だよな、森野のヤツ)
これ以上は近づけない距離まで近づくのを待って高耶はカメラのシャッターを押した。
「ありがとう、成田くん。一生宝物にするねっ」
「現像できたら俺にも一枚ちょうだいね。今月の二十日までだったら家にいるから。あ、連絡くれれば俺が取りに行ってもいいし」
「わわわわわかった。えと、じゃ、あたしの携帯番号」
「うん。これ、俺の携帯ね」
紗織にとっては9回裏2アウトの逆転ホームランな気分だろう。
それでも紗織の気持ちには一切気付いていない譲。
「ほんっと、成田って自分のことには鈍いよな」
「だよなぁ。かなりめーわくだったけど、今回ばかりは森野が気の毒になってきた」
千秋と顔を見合わせて苦笑し、高耶はふっと窓の外に視線をやった。
下校していく生徒たち。
校門付近に停められている見覚えのある車。
「あっれ〜?あの車、直江んじゃねえ?」
千秋も窓の外を覗く。
やっぱりあのダークグリーンのウィンダムは直江の車だ。
「卒業式にお迎えなんて、お約束なことかましてくれるなよ。ったく、暑苦しいったらありゃしねえ」
「うるさい、バカっ!」
「さっさと行ってやったら?あんなところに車停めてちゃ周囲に迷惑だろーが」
「ば、バカ野郎。今行ったら晒しモン間違いなしじゃねーかっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る。
だが千秋は怒る高耶を無視して譲に話しかけに行く。
窓の外を指差し、譲にウィンダムの存在を教えてやると「まったく、アツイよねぇ」と肩を竦めた。
「引越しが終わったら連絡するよ。そしたら向こうで一緒に遊ぼうな」
「あ、俺も四月から東京だからよ。たまにゃ一緒にメシでも食うべ」
「は?おまえも四月から東京だと??聞いてねぇぞ、んなことっ!」
「知ってるわけねーだろ。言ってねえんだから」
「ふざけんな。てめーなんかと一緒にメシなんかぜってー食わねぇからなっ!」
「同郷のヨシミって言葉があるでしょ?そんなに邪険にすることねーじゃん」
「てめーみてーな座敷ワラシと同郷になった覚えはねぇっ!!」
「落ち着けよ、高耶。卒業したってみんなで会えるんだから嬉しいじゃんか。な、千秋。引越ししたら住所教えるから、いつでも遊びに来てくれよな」
「成田はいいヤツだな、ほんと。誰かさんとは大違い」
「高耶は素直じゃないだけだってば。それより高耶、直江さん待たせてていいの?早く行ったほうがいいんじゃない?」
「いーんだ。勝手に来たんだから待たせたって」
本当に今出て行ったりしたら、ただでさえ目立ちすぎる男なのだから晒し者決定。
直江には悪いがもう少し粘って人が少なくなってから出て行こう。
しかし高耶の目論みは紗織の悲鳴によって打ち砕かれた。
「ねえねえっ!あの校門のところに停めてある車っ!!誰かのお迎え?」
「うそ!うちの学校で、卒業式に彼氏が迎えに来るなんて滅多にないよ。誰だろう。見に行っちゃおうか」
「うん、いこいこ。やだ〜、誰だろう、相手。つーか、どんな人が迎えに来てるのかな?」
数人の女子生徒が直江を話題に盛り上がり始める。
このままでは相手がこない限りはテコでも動きそうにない。
ちくしょう、と内心毒づいて高耶は荷物を抱えて教室を飛び出した。
「バカ直江〜っ!ただでさえ目立つんだから、あんなトコで待ってんじゃねーっつーのっ!」
さすがに正門から近づくのは憚られ、高耶は昇降口から校舎裏へ回り、裏門から倍以上の距離を走らされるハメになった。
車の外で高耶を待っている直江の背後に近づく、その後頭部を無言でどつき、振り返った直江に目で合図して自分もさっさとウィンダムの後部座席に乗り込んだ。
「卒業おめでとうございます、高耶さん」
「んなこたぁ、後でいいっ!いいから車出せ、車っ!!」
何をこんなに怒っているのか理解できないまま直江はウィンダムを発進させた。
「何をそんなに怒ってるんですか、高耶さん」
「このバカ野郎。あんな目立つところで車停めやがって。オレを晒しモンにする気か、おまえはっ!!」
「晒し者だなんて、そんなことはありません」
「だいたいっ!今日は仕事してるはずだろうが。どーしてこんなところに居るんだよ」
「昨日、山梨まで仕事で来たんです。今日一杯かかると思ったんですが、思ったより早く仕事が片付いたので松本まで足を伸ばしたんです。兄にはちゃんと了解をとってますから、心配しないでくださいね」
「・・・だったら連絡のひとつくらい寄越せよな」
「電話しましたよ、携帯に。メールも入れておきましたけど、返事がありませんでしたので」
学校で待っていれば会えるだろうと、校門前に車を停めていたのだが。
電話なんてなかったぞ、とカバンの底から携帯電話を取り出すと直江からの着信が数回。
未読のメールが1つ。
「悪い。全然気付いてなかった」
「わたしの方こそ、急に訪ねてきて申し訳ありませんでした」
「もういいよ、怒ってねぇよ。恥ずかしかったの。そんだけ」
「わたしにも配慮が足りませんでした。お許しください」
「わかった。じゃ、お互い様っつーことで終わり」
「はい。では、改めまして、卒業おめでとうございます」
「ああ、サンキュー」
「何かお祝いを、と思ったのですが何を贈ったらいいのか決めかねまして。あちらに引っ越してから一緒に選びに行きましょう」
「いいよ、んなもん。おまえに金使わせてばっかだし、同居させてもらえるし」
傍に居てくれるだけで十分。
そんな照れくさい言葉、素面の高耶に言えるわけがない。
バックミラー越しに高耶を見て直江は表情を和らげた。
「お昼ご飯、まだでしょう?どこかで食事でもしませんか?」
「お兄ちゃん、まだかなぁ」
学校が終わってから真っ直ぐに帰宅した美弥は自宅の居間で問題集を広げていた。
携帯のメールには直江から高耶と食事をした後に自宅へお送りします、と入っていた。
時計を見やると午後四時にさしかかろうとするところ。
遅めの昼ご飯を食べたとしても、もう帰ってきてもいい時間である。
「直江さんとイチャイチャしてんのかな。きっとそうだよね。受験も終わったし、卒業式も終わったし。今頃二人でホテルの個室で・・・。ひょっとして車の中とか、誰も居ない野外とか。きゃー、やだっ!野外プレイはまだ寒いわよ〜」
ヤダ、と言ってる割にはとっても嬉しそうである。
「おっといけない。集中、集中」
さらさらと問題集にシャーペンを走らせた。
答えあわせをすると全問正解。
ラストスパートはなかなか好調のようだ。
次のページに移ろうとしたとき電話が鳴り響く。
「はい、仰木です。あ、お父さん?」
『美弥か。高耶は帰ってるか?』
「ううん、まだ帰ってないよ。携帯に電話してみたら?」
『いや、いいんだ。父さんちょっと帰りが遅くなるんだが、その・・・彼は今日、こっちに来てるのかな?』
「彼って、直江さんのこと?」
『う、ああ、そうだ』
「うん。お昼ご飯、二人で食べてくるって言ってたから、もうすぐ帰ってくると思うよ」
『そうか』
「何か用事だったの?」
『父さんが帰るまで、待ってるように言ってくれんか。そんなに遅くはならんと思うが、夕食は外で済ませてくるから、おまえたちも食べてなさい』
「ケンカするんだったら、そんな伝言伝えないからね?」
『そんなことはせんよ。とにかく頼んだからな』
「だったら伝えとく。帰り、気をつけてね」
受話器を置いて再び問題集と向き合う。
直江も夕飯を一緒に食べていってもらうのなら何をしたらいいだろう。
夕食の献立を考えていると、問題集の英単語や英文法が頭の中を素通りしていった。
これじゃ勉強にならない。
買い物にでも行って頭を冷やしてこよう。
メールで高耶に『お父さんが直江さんに話があるから、帰ってくるまで待ってるようにって。美弥は晩御飯のお買い物に行ってきま〜す』と送っておいた。
コートと財布を持ってブーツを履いて玄関を出る。
コンクリートの階段を軽やかな足取りで下りていくとダークグリーンのウィンダムが団地に近づいてきた。
「あれ、直江さんの車だあ」
美弥に気付いた直江が車を停め、助手席から高耶が降りてきた。
「おかえり、お兄ちゃん。さっきメール送ったんだけど、見てくれた?」
「おう、見た。親父、何の話だって?今更ケンカすんだったらこのまま帰らせるぞ」
「ケンカじゃないみたいだよ。美弥もクギ刺しといたから大丈夫」
「そんならいいけど。買い物行くんだったら直江に車出させるから乗ってくか?」
「ほんと?嬉しい。お邪魔じゃなかったらお願いしちゃおうかな」
「邪魔ってどーゆー意味だよ」
「え〜。車は動く密室ってよく言うじゃない。お兄ちゃんと直江さんの邪魔しちゃ悪いかなって思っただ・け」
「おまえは〜。ほんっとに余計なことばかりに気をつかいやがって。いいから、さっさと乗る」
「はぁい」
美弥を後部座席に押し込んで、高耶は再び直江の車の助手席に乗り込んだ。
「直江さん、お茶いかがですか??」
「いえ、結構です。お構いなく」
「本当はお酒でも出せたらいいんですけど、飲酒運転になっちゃいますからね。お父さんがいなかったら泊まってってもらうのに、残念」
夕食が終わって父親が帰ってくるまでの間、直江と高耶、そして美弥は仰木家の居間のコタツに座っていた。
壁掛け時計が午後の八時を知らせる。
今夜は松本市内のホテルに宿泊する予定の直江だったが、明日は仕事のため早朝に宇都宮へ帰るという。
(親父のヤツ、何やってんだよ)
連絡を取りたいが、父親は携帯電話を持っていない。
そんなに遅くはならないと言っていたようだからもうすぐ帰っては来るだろう。
じっと座っているのに耐えられず高耶が立ち上がった。
「オレ、ちょっと見てくる。おまえも早く帰って寝ないと明日の運転に差し障るだろ?」
「わたしなら大丈夫ですよ。お父さんも仕事上のお付き合いなら無理のないことです。それに、お父さんの方から話をしてくれるだけで嬉しく思ってるんですよ」
「おまえも楽観的なヤツだな。親父の話がいいことばっかとは限らねぇぜ」
「ですが、同居には賛成してくださったんでしょう?」
「同居にはな」
約束とかそういうものではなく、直江という一人の人間を認めて欲しい。
美弥から父親の伝言を聞いたとき、嬉しくもあり同じだけ不安な、どうにも複雑な思いが湧き上がってきた。
踵を返して部屋を出て行こうとして立ち止まる。
ドアを開ける音。
「お帰りなさい、お父さん」
美弥が出迎えに走っていく。
高耶に緊張が走った。
その様子を見て立ち上がった直江が「大丈夫ですよ」と言うように肩に手を置いた。
肩に置かれた掌の温もりに少しだけ安堵する。
父親が居間に姿をみせると高耶はごくりと生唾を飲み込んだ。
「お邪魔してます」
直江が仰木父に向かって軽く頭をさげた。
「遅くなってすまなかったね」
「いえ」
直江に座るように促し、父親も定位置に腰を下ろした。
父親と真正面で向かい合うようにして直江が座り姿勢を正した。
美弥はお茶を淹れるために台所へ行き、高耶も迷った末に直江の隣に腰を下ろす。
話があると言ったのは父親だったが一向に話し出す気配がない。
しばらくの沈黙に痺れを切らした高耶が口を出した。
「父さん、直江に話って・・・」
高耶の言葉を遮り、直江がその続きを繋いだ。
「同居を許してくださったと聞きました」
「高耶が大学を合格したらと約束したからな」
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはないよ。わたしは息子との約束を守っただけだ」
「父さんっ」
「高耶。おまえを東京へ出すことを許したのは、大学で勉強をするためだ。それだけは肝に銘じておけ」
「わかってるよ、そんなこと」
高耶が父親を見据えたまま言った。
すっと直江が動いた。
畳の上に両手をつき、高耶の父親に向かって頭を下げたのである。
「仰木さん。高耶さんをわたしにください」
驚いたのは高耶も高耶の父親も同じだった。
慌てて直江の肩に手をやり顔をあげさせようとする。
「バカ、直江っ!何やってんだよ。顔、あげろっ」
「必ず幸せにします。高耶さんはわたしが命に代えても守ります。絶対に泣かせたりしません。この人に対して不誠実なことはしないと、今ここで仰木さん、あなたに誓います」
「バカ野郎!おまえにこんなことされて、オレが喜ぶとでも思ってんのかっ!」
畳に手をついたまま顔を少しだけ傾け、直江は高耶に向かって微笑んだ。
「あなたのためだけじゃありません」
大切な息子を貰っていく。
高耶の父親を不安にさせるようなことはしない。
仰木父に対する直江の誠意なのだと高耶は思った。
直江の思いの深さに涙が出そうだ。
「もういい。おまえの気持ちは判ったから。頼むから、顔、あげてくれよ」
そう言って高耶も父親に向き直り、直江と同じように土下座をした。
「頼む、父さん。理解してもらえないかもしれないけど、オレ、本当に直江のことが好きなんだ。一生、ずっと一緒に居たいと思ってる。だから認めて欲しいんだ。オレたちのこと。認めてください。お願いします」
今まで生きていた中で、こんな風に父親に対して頭を下げたことなどなかった。
意地もプライドも関係ない。
ただ、認めて欲しいだけ。
「二人とも、顔をあげなさい」
父親の言葉に、高耶と直江はようやく顔をあげた。
「おまえたちの気持ちはよく判った」
「じゃあ、父さん・・・」
「だが、息子の一生を任せるにはわたしは君のことをあまりにも知らなさ過ぎる」
言葉を区切って、父親は続ける。
「東京に行っても、たまには松本に顔を出しなさい。二人で」
「父さんっ」
「仰木さん」
「高耶は意地っ張りで頑固だ。融通のきかんところもある」
「知ってます」
「だけど、真っ直ぐで優しい子だ」
「ええ、知ってます」
「・・・高耶を、よろしく頼む」
「父さん・・・」
そう言って父親は姿勢を正し、直江に向かって頭を下げた。
「お父さんっ!よく言ったわっ!!」
お茶を淹れに行ったはずの美弥が居間に飛び込んできて父親に抱きついた。
「また『二人の仲は認めん』とか言い出したらどうしようって思ってたのに〜。最初っからそういうつもりだったのね。そうならそうと、初めっから言ってくれてたらよかったのに。石頭の頑固ジジイだなんて思ってごめんねっ!!」
「美弥、おまえ・・・父さんをそんな風に思ってたのか・・・?」
「だからゴメンって。前言撤回」
娘に抱きつかれたまま、仰木父はとっても複雑そうな表情をしていた。
それに気付いた高耶と直江は顔を見合わせて笑う。
しがみついていた美弥を引き離し、
「美弥、酒を持ってきなさい。お猪口は二つな」
「誰が飲むの?」
「高耶は未成年だ」
「お父さんと直江さんの分だね。わかった、すぐに持ってくる」
「ちょっと父さん。直江、明日の朝には宇都宮に帰るんだぞ。ホテルに戻って寝なきゃ・・・」
「うちに泊まっていけばいい。男同士が分かり合うには酒が一番だ。呑めんわけじゃないだろう?」
「まあ、たしなむ程度でしたら」
せっかく二人の仲を認めてくれたところに水を差すわけにもいかない。
程度を考えれば大丈夫だろう。
高耶の父親はかなりの酒豪だと聞いていたが、酒が過ぎるようなら高耶と美弥が制止する。
その考えが甘かったと、翌日二日酔いの頭を抱えて直江は思うのだった。
「へぇ〜。そういう経緯があったんだ」
「そうそう。もう、義明さんったらめちゃめちゃカッコよかったんだから〜。うちのお父さん相手に土下座までしちゃってね。『高耶さんをわたしにください』って!!あんなん、ドラマの中だけのセリフだと思ってたよ」
「うわ〜。義明兄ちゃんってば、どーしてそういうオイシイところをあたしが居ないときにやらかすかな〜?」
三月の半ば。
無事に高校に合格した美弥とあきらはクリスマス振りに対面を果たした。
東京へ引っ越す高耶にくっついてきたのだ。
某デパートでこれからの彼らの生活用品を揃えるための買い物に来ている。
美弥とあきらの勢いに押され、高耶と直江は早々にリタイアし、同じ敷地内にあるカフェスペースで休んでいた。
直江からお金を預かり、必要なものをあーでもないこーでもないと吟味しながら購入していく。
「お兄ちゃんまでお父さんに土下座しちゃってね。廊下でそんな光景見てたら、あたし、胸がきゅーってなっちゃったよ。あそこまでお互いを思えるのっていいよね。憧れちゃうなぁ」
「美弥ちゃんのお父さん、ちょっとかわいそうだね。泣いてなかった?」
「お兄ちゃんの前ではね。一人のときにこっそりお母さんの写真見ながらブツブツ言ってた」
「わかる、わかる。うちのお父さんもあたしがお嫁に行くって言ったらそーなりそう」
「あ、それアリだね。あきらちゃんのお父さん、すっごいあきらちゃんのこと可愛がってるもんねぇ」
「美弥ちゃんもお嫁に行くとき大変だよ〜」
「お兄ちゃんは直江さんにあげちゃったから、あたしがお婿さんもらってお父さんの面倒みてあげなくちゃいけないしね」
「え、美弥ちゃんってば婿養子派なの?」
「マスオさんしてもらうってのもいいけどね。ほら、サザエさん家みたいにさ」
「いいね、それ。ところで、例の先輩とはどーなったの?」
「その話は後でね。あきらちゃんこそどーなのよぅ。卒業式に告られたって話♪」
「それも後でね。まずは義明兄ちゃんたちに祝同棲のお祝い選んであげなくちゃね」
「やっぱゴージャスな大人の男ってことで、バスローブでしょ〜。これなら脱がせる手間省けるし」
「やだー。美弥ちゃんってばエッチ」
「そんなこと言ったって、あきらちゃんだって同じこと考えてたんでしょ」
「あはは。バレたか」
「どの色にする?」
美弥たちが目をつけているバスローブには白、水色、クリーム色、ピンクの四色がある。
「義明兄ちゃんは絶対に白でしょ?美弥ちゃんのお兄さんは・・・男の人だからピンクはまずいかな」
「大丈夫、カワイイカワイイ。じゃ、白とピンクにしようか」
高耶が聞いたら赤面しながら怒るだろう内容の会話を実に楽しそうに繰り広げながら、店員に頼んでバスローブをラッピングしてもらう。
部屋に戻った高耶たちが美弥とあきらの選んだ「いかにも新婚さん家庭の生活用品」を見て激怒するのはこれから数時間後の話。
彼女たちが選んだお揃いの茶碗や湯のみ、コーヒーカップに自らの妄想が重なってしまったためである。
これまでもこれからも、すったもんだを繰り返しながら彼らは幸せになっていく。
幸せになるために彼らは出会ったのだから。
=END=